2016/01/09

短編小説 『消えた炎』 第一章

 なんとなくミステリーっぽい気がしなくもなくもない短編小説です。
 一応『雰囲気ミステリー』と私は呼んでいます。整合性とか緻密さとか、そんなのはあまり考慮されていなくてただそれっぽい感じになっているだけの文章ですね。
 お暇でしたら読んでやってださい。



【注意】
 この作品は創作です。登場する人物・団体などは現実のものと一切関係ありません。
 誤字・脱字に関しては温かい目で見過ごしてやって下さい。お願いします。


 



     第一章


 ふと耳に迷い込んできたその音は、いつもの目覚まし時計の電子音ではなかった。この音楽はなんだったか……とぼんやりと考え、数秒経ってからそれが携帯電話の着信メロディだと彼女が気づいた途端に今まで見ていた風景がブラックアウトした。闇に放り込まれた彼女がゆっくりと目を開けると、見慣れたベージュ色の天井が、圧倒的な現実感とともに視界に飛び込んで来た。
「ん……」
 そこで初めて自分は眠って夢を見ていて、携帯電話の着信メロディに起こされたのだと寝起きの脳が理解した。部屋には機械的なクラシックのメロディが流れているだけで、他にこれといった物音はない。もちろん彼女以外に人の気配もない。ゆえに着信を無視しても誰一人彼女の行動を非難するものはなく、再び夢の世界へと行くことはさして難しいことではなかった。ただまぶたを閉じ、意識を閉じて聞こえる音を遮断すればいい。
 しかし、それを阻もうとする携帯電話の叫びは、途切れる気配がまるでなかった。電話に出るまで続けてやる、そんな機械にあるはずのない意思さえ感じるほどだった。
 仕方なく「はいはい……」とため息混じりに呟いて、彼女は枕元の携帯電話を寝そべったまま手に取り、画面に眠気の取れぬ目をやった。
「あら、珍しい」
 薄暗い部屋と寝起きの目には眩しすぎるバックライトに浮かんだ発信者の名前を見て、彼女は小さく笑みを漏らした。こほん、と咳払いをしてから通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
『あ、チョコ? ごめんね、日曜の朝早くに。寝てた?』
「うん。目一杯睡眠を楽しんでた」
 と社交辞令もなくそのままの意思を返しながらチョコ――神名千代子(かんなちよこ)はゆっくりと上体を起こし、視界を覆う前髪を空いている手で掻き上げた。碁石のように真ん丸な黒い瞳で見つめる壁掛け時計は、午前六時半を指していた。大学に行く日は比較的早起きな千代子にはそれほど早くはない時間だが、休みの日はしっかり正午近くまで睡眠を取る習慣を持つ彼女としては非常識とも言える起床時間だ。
『ホントごめん』
「そんな無意味な謝罪を聞かせるためにこんな早朝から電話してきたんなら許さないけど、そうじゃないんでしょ? 鞠絵」
『そう、そうなのよ……大変なことになっちゃって。チョコを休みの日に叩き起こしたら機嫌が悪くなるってことはよく知ってるけど、力を貸してほしいの。助けて』
「…………」
 ふむ、と小さく息をついて、千代子はぽりぽりと頭を掻いた。自分の特殊な習性を知っていてなお電話をかけてきた親友――木乃内鞠絵(きのうちまりえ)の行動にただならぬ気配を感じ取り、この一件は無視できないということを意識した。
「それで、私は何をすればいいの?」
『探し物。時価数億円の宝石がなくなったの』
 真剣な心持ちで聞いた鞠絵の言葉に、千代子は硬直して眉根を寄せた。しばらくその意味を考え、吟味し――そして答えた。
「警察に相談してくれる? じゃあ私寝るから。おやすみ」
 ただならぬ気配は勘違いだったという即席脳内会議の末に心底面倒くさそうに言って、千代子は迷わず電話を切った。


『ちょっとぉぉぉぉぉぉ! なんで電話切るのよぉぉぉぉ!』
「お掛けになった電話は、寝起きで聞くにはあまりにも笑えないジョークだったので通話を拒否しています。もう少し面白いことを言うように心掛けてからお掛け直しください」
 二度寝を決意してベッドに潜り込もうとしたところで再び着信があり、五分ほど無視していたがいつまで経ってもメロディがやまないので仕方なく通話ボタンを押した千代子は、鞠絵の泣きギレ抗議に棒読みセリフでそう返した。
『ジョークじゃないんだってば! 私の仕事知ってるでしょ!』
「知ってるけど……新人がそんな大きな仕事を任されるわけないからウソだと決め付けましたが何か?」
『何か、じゃないっ! 今回私は商品管理部の先輩のアシスタントなの!』
「……あー」
 納得したように千代子はこくりこくりと頭を振った。
 鞠絵は千代子のように大学へ進学せずに高卒で就職活動をしたが、見ていて思わずホロリと涙が流れるほど見事に内定に見放され、現在は画商をしている彼女の親戚の紹介(要するにコネ)で貴金属を取り扱う個人会社に勤めている。入社して二年目の彼女の主な仕事は『営業』で、営業課の先輩とカタログ片手に足を棒にしながら顧客めぐりの毎日である。
 そんなまだまだヒヨッ子の鞠絵が億単位の宝石を扱わせてもらえるはずもないので、千代子はウソと決めてかかったのだが、彼女が主役でないのならば話は変わってくる。
「で、その先輩が時価数億円の宝石をなくすという大ポカをやらかしたわけね?」
『違う違う。いや、先輩も容疑者に入ってるから全面的に間違ってはいないけど……でも違う』
「……よくわからないんだけど。少し落ち着いてくれる?」
 なくなったモノがモノだけに焦っているのか、鞠絵の言うことはさっぱり要領を得ず、千代子は眉間のシワを増やしながら少しイラついた声を上げた。その声音に何かを感じ取ったか、鞠絵は「ぴゃいっ」と変な返事をして電話口で三度深呼吸した。
『かいつまんで言うと、展示会の会場で宝石が一つ紛失したんだけど、それを警察に知らせずに解決――宝石を取り戻したい。ってこと』
「なるほど」
 シンプルな説明で事態は把握した。そして千代子が出した結論は――
「だったらもう戻ってこないわ。諦めて」
 言って、電話の相手には見えないとわかりつつグッとサムズアップして、早朝の静謐な空気に溶け込むようなサワヤカな笑顔を作る。それはさながら一枚の絵画のようで、見る角度によっては美術館に飾られていても遜色ないと思われる見事な光景だった。
『チぃぃぃぃぃヨぉぉぉぉコぉぉぉぉぉぉぉっ!』
 そんな清々しい空気をぶち壊し、キッパリと死刑宣告された鞠絵は思わず泣きながら叫んだ。どこから電話をかけているのかはわからないが、ご近所迷惑も甚だしい。
『私たち親友でしょ!? 心の友でしょ!? 力を貸してよ! 諦めたらそこで試合がどうのこうのって言うし!』
「いや、まぁ、私みたいな変人を親友って言ってくれる、マザーテレサも真っ青な奇人の鞠絵の力になりたいと思わなくもなかったりしなくもなくはないけれど」
『どっち!? ていうか奇人って何よ奇人って!?』
「勘違いしないで。『きじん』の『き』は貴婦人の『き』じゃなくて『奇数偶数』の『き』だから」
『それだと私勘違いしてないよね!?』
「二人揃えば文字通り『奇人変人』、だね。どーもー、奇人変人ですー、って感じで」
『そんな漫才のコンビ名みたいなくくり方はいやだぁぁぁぁぁっ!』
「考えてもみなさいよ。そんな何億もするようなシロモノを警戒厳重なはずの展示会場で紛失したってことは、うっかりミスじゃなくて誰かに計画的に盗まれたってことでしょ? 盗んだ犯人を現行犯逮捕していないなら、すでに会場から持ち出されてる可能性が高い。だから今頃どこかに隠されたか他の人の手に渡ったかで追跡は不可能じゃないかと思うんだけど。そんな状況じゃたとえ警察でもそう簡単には見つけられないかもしれないのに、警察不介入じゃあ、どうあっても見つかりっこないわ」
『いやあの。いきなり本題に戻られるとビックリするんだけど』
 唐突に真面目回答をされてついていけなくなった鞠絵は、ともかく落ち着こうと電話口で数度深呼吸し、ヒートアップした頭を冷やした。千代子相手に真面目な話をするにはとにかく『千代子に流されないこと』を心掛けなくてはならないことを思い出す。
『それがそうでもないのよ。容疑者は五人で、宝石は少なくともビルの外には持ち出されていないから』
「……は?」
 思わぬ情報が飛び出てきて携帯電話を取り落としそうになったが、持つ手に力を入れなおしてから千代子は眉根を寄せた。
「わけがわからない。容疑者が絞り込めていてモノが持ち出されてないなら、徹底的に家捜しでも身体検査でもすれば出てくるはずでしょうが。それで見つからないなんておかしいでしょ」
『だからチョコに助けてほしいって言ってるんじゃない。状況は普通じゃないのよ』
「…………」
 まぁ、そうなんだけど。と内心でうなずく千代子。普通に考えて普通に結論が出るなら、鞠絵が休日の早朝に叩き起こされるとキレる親友を頼ってくるはずがないのだ。
 はぁ、と諦めにも似た大きなため息が思わず漏れる。
「とりあえず現場に行くわ。迎えに来てくれる、鞠絵?」
『ありがとう名探偵! 四十秒で行くから!』
「はいはい」
 通話を切り、携帯電話をベッドに投げやって千代子はのそのそとベッドを降りた。大あくびをしながらキッチンの冷蔵庫を開けて牛乳を取り出し、お気に入りのマグカップに注ぐ。それを電子レンジに入れてスタートボタンを――
 ぴんぽーん! ぴんぽーん!
『おはようございます! 鞠絵でっす!』
「……マジで四十秒で来やがった……」
 ボタンを押す格好のまま硬直し、千代子は引きつり笑顔でげっそりと呟いた。


 半泣きでインターホンを連打してくる鞠絵を無視しながら小一時間かけて出掛ける用意を済ませると、千代子は家の前に迷惑駐車されていた白い商用車のナビシートに迷わず乗り込んだ。
 鞠絵は首を傾げながらもその車の運転席に納まり、エンジンをかける。
「あの。チョコ?」
「何?」
「よくこの車が私が乗ってきたものだってわかったね。社名も入ってないのに」
「わかるも何も。電話を切って四十秒でやってきたんだから、家の前に車を停めてそこから電話していたってことくらい簡単に想像できるでしょうが。慌てていたみたいだからドアロックも忘れてるし、車内に鞠絵のバッグも置きっぱなし。そして周囲に見知らぬ車はこれ以外に一台もないとくれば、小学生だってわかるわよ」
「……なるほど。さすが名探偵」
 説明されて合点がいったか、鞠絵はいそいそとシートベルトを締めた。シフトをDレンジに入れてぎゅっと一気にアクセルを踏み、二リッターの排気量を持つエンジンを唸らせて車体を加速させる。このままでは制限速度を超えてしまう――という直前でスッと右足の力を抜き、ピタリと制限速度に合わせると、鞠絵はてへへと笑った。
「やっぱり排気量があると楽だねー。私のボロい軽自動車とは違うわ」
「こういうスタートダッシュ上等な乗り方は感心しないんだけど。燃費が悪くなるし、うるさい連中に目をつけられやすいわよ。あと、私が車酔いするからやめて」
「ごめんね、馬力のある車に乗るとつい右足に力が入っちゃうの。気をつけます」
「わかればよし。それと、その『名探偵』っていうのやめてくれない? 私は探偵になるつもりも気取るつもりもないんだけど」
 早朝に叩き起こされて不機嫌な上に激しく脳ミソをシェイクされ、刻まれた眉間のシワを隠そうともしないしかめっ面を窓の外に向けて、千代子はうんざりしながら言った。
「なんで? 高校時代から数々の事件を解決してきた、正真正銘『名探偵』じゃん」
 予想外の抗議だったのか、鞠絵は心底意外そうな顔で返した。その態度に千代子の不機嫌さにブーストがかかる。
「あれは私に実害が及びそうだったから解決しただけであって、その称号が欲しくてやったわけじゃないの。何度もそう言ってるでしょ」
「チョコが望もうと望むまいと、実際に事件を鮮やかに……それこそ自称『名探偵』のミステリー研究部の部長を子ども扱いするみたいに先んじて解決しちゃったんだから、私じゃなくても誰かがそう呼んだに違いないよ」
「迷惑な話だわ……ミス研部員だった子が同じ大学にいて、それを大袈裟に吹聴するから、大学のミス研にまで勧誘されて断るのに苦労してるんだから」
 ふう、と千代子はイライラ混じりのため息をついて、これ以上この話題を続けるのは不毛だと判断し、「それはそうと」と話を変えた。
「今回の件の概要を聞かせて。鞠絵」
「らじゃー」
 信号待ちの時間を利用して鞠絵は後部座席のバッグから数点のパンフレットを取り出し、それを千代子に渡した。A5サイズのカラー印刷された小冊子で、洒落たフォントの題字が表紙に踊っている。
「私の勤め先が貴金属の販売仲介をしているのは知ってるよね? それとは別に、個人の宝石商や画商から展示会を開きたいって依頼を受けて、イベント企画をやってる部署があるの」
「知ってる。『企画部』だっけ、半年前に鞠絵が希望したけどセンスがないからって断られた憂さ晴らしのヤケ酒に付き合ったときに散々聞かされたから。酔いつぶれたあんたを連れて帰るのに苦労したわ」
「あの節は大変ご迷惑をお掛けしました。それで、今回も例によって依頼を受けて展示会と即売会を開くことになったわけ。そのパンフレットが今渡したもの。期間は明後日から三日間、場所は依頼主が持っているビル。自社ビルのワンフロアで開催なんて、なんだか奇妙な感じだけどね」
 言われてパンフレットに目を落とすと、開催期間と開催場所が裏表紙に印刷されているのが確認できた。会場の住所は千代子の家から車でおおよそ三十分くらいの場所だった。
(随分交通の便が悪いところだけど……大丈夫なのかしら)
 会場近くに駅などはなく、自動車などでアクセスするしかないという立地の悪さに千代子は他人事ながら心配になった。もっとも、貴金属の展示会などという金持ちのイベント(千代子の偏見)に足を運ぼうという人間は電車など使わないから問題ないのだろう。
「私の会社からは、商品管理部から一人――四ノ宮さんっていう美人でメガネのクールビューティ――と、営業部から先輩のアシスタントとして私一人、合計二人が派遣されたの」
「商管と営業だけ? 企画部からも人手を出さないと回らないんじゃないの?」
「四ノ宮先輩は元企画部だから大丈夫。まあ、クライアントが提示した予算じゃ三人も派遣できないってのが実情なんだけど。そういう意味では、商管と企画の両方をこなせる四ノ宮先輩が適任なのよ」
「ああ、なるほど」
 エース級の投入で予算の大半を使ってしまって、残りでサポートにつけられるのが新人の鞠絵だけだったということか――という言葉は千代子の口から出ることはなかった。
「話を続けるよ。準備初日となった一昨日、四ノ宮先輩が企画部のアイデアを元にしてビルのワンフロアを展示会場にすべく、配置やライティングなんかを依頼主と相談しつつ決めたの。で、その翌日――昨日、展示物の搬送と配置を始めたんだけど」
「そこで事件発生、と?」
「そう。……展示会の目玉だった『聖女の炎』が……なくなったの」
「ふーん」
 深刻げな口調で重々しく言う鞠絵に対し、気のない返事をする千代子。そのあまりにも他人事然とした様子に若干の不安を覚え、鞠絵は念のために質問してみることにした。
「……あの。事の重大性を理解してらっしゃいます……?」
「そのつもりだけど。ほら、信号が青になったわよ」
「え? あ」
 言われて鞠絵は信号待ちをしていたことを思い出し、信号機を見て慌ててアクセルを踏んだ。再び激しい加速で車体が揺れる。
「あれよね、『聖女の炎』って確か、世界最大級のピジョンブラッドのことよね?」
「うん。それ。時価数億円とも言われる巨大ルビーのこと。希少価値は計り知れない」
「随分豪快なことするわね、そんなレアな美術品を展示しようなんて」
「社運を賭けた展示会だって社長は息巻いていたからね。目玉は大きい方がいいって。でも……なくなっちゃった」
 ショボンと肩を落とし、鞠絵は小さく息をついた。
 ルビーといえば赤い色、と小学生からでも答えが返ってくるくらいメジャーな宝石だが、中でも『ピジョンブラッド』と呼ばれる通常よりもずっと赤色が濃いものは、その希少性から非常に高値で取引されている。中には下手なダイヤモンドよりも高値になるものも存在するほどで、『聖女の炎』はまさにその最高峰に位置すると言われている深紅の大粒ルビーである。
「宝石は会場から持ち出されていないって言ったわね。どういうこと?」
「展示フロアと、宝石や貴金属を保管している金庫室は同じビルにあるのね。展示フロアは三階で、金庫室は地下二階。設営や搬入のスタッフはエレベーターと階段を使ってこれらを行き来してるんだけど、『聖女の炎』が金庫室から展示フロアに搬送されて、紛失に気づくまでの間にビルを出た人間が一人もいないのよ。もちろん紛失に気づいた後にビルを出た者もいない。だからその場で全員の身体検査と会場の徹底的な捜索をすれば発見できると思われた。でも……」
「見つからなかった」
 うん、と鞠絵は気落ちしたようにこくりとうなずいた。
「けどさ、誰もビルから出ていないんだから、まだピジョンブラッドはビル内というか会場内にあるってことは間違いないと思う」
「誰も? 鞠絵が出てるじゃない」
「う……私は容疑者じゃないもん……ちゃんと素っ裸になってまで宝石を持ってないことを証明してからビルを出てるもん……」
「公衆の面前での全裸露出デビューおめでとう。あなたは立派な痴女よ」
「嬉しくないよ! それに女性警備員二人に見られただけで公開ヌードじゃないから!」
 顔を真っ赤にしながら鞠絵は声を荒げた。怒りのせいか恥ずかしさのせいか、紅潮した表情はしばらく戻りそうになかった。その辺をネチネチいじって早朝電話の恨みを晴らそうかどうかを考えた千代子だったが、事件の話を優先させることにした。
「ビルを出た者はいないと断定する根拠は?」
「防犯カメラ。ビル内にはいくつものカメラが設置されていて、宝石の搬送が始まって紛失に気づくまでの間にエントランスや裏口――要するにビルから出る通路を通った人間は映っていなかったの。考えづらいけど一応屋上から逃げたりそこに隠したりできるってことで、屋上へ続く階段を映しているカメラ映像を調べたけど、誰も通っていなかった」
「その映像の管理は?」
「ビルの警備室――地下一階にあるんだけど、そこで集中管理していて、常時三人の警備員が詰めてる。でも今回は品物が高額だから六人に増員されていて、警備室に侵入して録画された映像に細工をするとか、そういうのはまず不可能と考えていいと思う。警備員全員が共謀していない限りは、だけど」
「んー……」
 千代子は最後の一言の可能性を考え、黙してうつむいた。
 時価数億円、世界最大級の稀少ルビーとなれば全員が共謀して盗み出そうとしても不思議はないが、関わる人数が増えれば増えるほど分け前が減ってアシがつきやすいというリスクが増える。金額の大きさに仲間を売る者も出るかもしれない。そう考えれば警備員犯人説は除外しても良さそうだった。
「防犯カメラに展示場所からルビーを持ち出す人間が映っていなかったの? 会場にもカメラはあるんでしょ?」
「それがあれば話は早いんだけどね……普段から設置されてるカメラでは死角ができるから、会場に五機の高性能監視カメラを新設することになってるの。でも紛失に気づいたときはまだその工事の途中で、カメラは稼動していないわけ。もちろん電源を共有していた旧カメラも停止中」
「無用心な……」
「一応、設営作業中の部屋にも警備員が三人いるから、まるっきりのノーマークだったわけじゃないよ。まさか身内のスタッフしかいない設営中になくなるなんて予想もしてなかったし」
「……そう、ね」
 曖昧にうなずいて千代子は窓の外を見た。
 彼女の自宅周辺は田畑の多い田舎だが、流れていく景色はコンクリートとアスファルトに囲まれた市街地に変わっていた。
 交差点に掲げられている地名の看板を見上げ、パンフレットに載っていた住所はこの辺りだったか――と千代子がぼんやりと考えていると、鞠絵は反対車線を跨いだ先にあるコインパーキングへと車を進入させた。車が数台停められるかどうかという狭い敷地にもかかわらず、手馴れた風に白線枠内に駐車する。どうやら目的地に到着したらしい。
「このビルが現場よ」
 シートベルトを外し、鞠絵は真正面のビルを目で指した。つられて千代子がフロントウインドウ越しに見上げる。
 最近塗装工事でもしたのか、真新しいベージュ色の外壁のずんぐりとした印象のあるビルだった。窓は大きめで一階の廊下らしきものがよく見えており、同じような窓が二階、三階に並んでいる。窓際というのは大抵部屋になっているものだが、このビルはその例に漏れて構造が違うらしい――と千代子はぼんやりと思った。
「とりあえずチョコを連れてくるってことはみんなに言ってあるし、協力してもらえるよう取り付けてあるから」
「それは手際が良くていいんだけど……私を『名探偵』って紹介してないでしょうね?」
 ジト目で睨みつつ訊く千代子。一瞬硬直して表情を引きつらせる鞠絵を見逃さず、盛大なため息を漏らした。このまま進めば過大な期待をかけられるのは間違いなく、それが何よりも面倒でならない。
「……帰っていい?」
「だ、だって仕方ないじゃない! 名探偵とでも言わなきゃチョコを連れて来れないし! お願い帰るとか言わないで! 私たちを助けて! もし帰るんなら電車でね、駅はここから徒歩二十五分だしもちろん自腹だよ! 送ってあげないんだから!」
「…………」
 必死になって引き止める鞠絵に、千代子は無表情な瞳を向けていた。
 心底宇宙の果てまでやる気が出ない事案であることが最大の理由であるが――だからと言って数少ない貴重な友人の危機を見過ごしてしまえるほど鬼畜にもなりきれず。
「タマゴ饅頭」
「……え?」
「報酬。『かなん堂』の一日五箱限定のタマゴ饅頭二箱。それで引き受ける」
 やれやれと肩をすくめながら、千代子はそう言って小さく笑みを漏らした。やる気を見せずにいた手前、引き受けるには報酬を要求するしかなかったが、それが和菓子二箱とは安すぎるだろうか……という自嘲も混じっていた。
 それを知ってか知らずか、鞠絵はぱあっと表情を明るくし、千代子の手を取って、
「ありがとう、ありがとう! こんなこともあろうかとタマゴ饅頭は三箱買ってあるから前金で渡しとくね!」
 と後部座席に隠しておいた饅頭の箱を取り出し、満面の笑みを浮かべた。
 ――どうしてその推理力と洞察力を事件解決に使えないんだろう――?
 そんなことを思いつつ、千代子は親友の強かさに先ほどとは違う笑みを浮かべ、ばりばりと包装紙を破いてタマゴ饅頭を一つ頬張った。



     第二章へ続く・・・


 
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