2016/12/25

短編小説 『いや、まあ、クリスマスだし…』

 クリスマスイラストが描けなかったんで、突貫(2週間)で書いた小説を投下しておきます。
 例によって妄想全開な内容となっております。ご注意ください。


 …………あ、2週間あったらイラスト描けたやん!というツッコミはご遠慮ください(涙目


 この小説はフィクションです。登場する人物・団体等は現実のものと一切関係ありません。
 突貫&熟成期間なしのため誤字脱字が多分あると思います。笑ってスルーしてください。

 


 窓から射す冬の朝の弱々しい陽光が、一晩で冷え切った部屋に僅かな暖をもたらそうとがんばっているようで、明け方に寒さで目覚めたときよりは幾分空気が緩く感じられた。それでもまだまだ室温は低く、工房主はベッドで少し身をよじっただけで布団から出ようとはしなかった。頭までかぶった毛布の隙間から極端に視力の低い寝ぼけ眼を壁掛け時計に向けると、時針は午前八時を少し回ったところを指している……ように見えた。ふむぅ、と大きく息をついて細めた目を開き、ベッドサイドに置いてあるメガネケースから最近買ったばかりのメガネを取り出して装着し、再び時計に目をやった。
 午前八時十二分四十六秒。起床時間である。
「……二度寝サイコー……」
 そんな堕落した独り言を呟き、メガネをケースに戻してから再び布団に潜った。横向きに丸まって、枕に頭を置いて――階下で物音がすることに気づく。
 先ほど見た時計の文字盤にはデジタル表示の日付があり、そこには『SUN』という文字が浮かんでいた……と工房主は思い起こす。日曜は工房の休業日である。
 しかし、工房メイド長であるヴィアーチェは、休みの日であっても他に急用がなければ工房にやってくる。ものぐさで家事など何もできない工房主の身の回りの世話をするためである。これは工房主が要請したわけではなく、彼女が自主的にやっているだけで給与が発生しているわけでもない。工房主はこれを業務扱いにしようとしたが、ヴィアーチェが「私が自分勝手に、好きでしていることですから」と頑なに拒んだため、なし崩し的にボランティア状態となっているのだった。「まるで通い妻だな」とアレッサから二人を冷やかすために覚えた単語を投げかけられたこともあった。
「…………」
 そんなことを思い出し、ちょっとした気まぐれを起こしたのか。
 それとも、時計の日付を見たからか。
 工房主はおもむろに携帯電話を手に取り、電話帳からある番号を呼び出して通話ボタンを押した。


 ダイニングのドアを開けると、ココアの甘い香りが温かい空気と共に流れ出てきて、寝起きの工房主の意識を目覚めさせた。
「おはようございます、主さん。今朝は少し冷えますからココアにしました」
 言ってヴィアーチェはいつも工房主が座る席に柔らかな湯気の立ち上るマグカップを置いた。普段の工房メイド服姿ではなく、淡い色のセーターに膝丈のスカートというカジュアルな格好で、工房メイド長のシンボルとも言える銀髪のポニーテールも今は下ろして、首の後ろで緩く纏めているだけの『日曜仕様』となっている。
「おはよう、アーチェ。……うん、ココアの甘さも温度も完璧だ。美味しいよ」
「そうですか、ありがとうございます」
 テーブルに着いてココアを一口飲んだ工房主が満足そうに言うと、ヴィアーチェは会心の笑みを浮かべた。普段は温かいレモネードを出すところをホットココアに代えても大丈夫かと少し心配だったが、工房主の反応のよさにほっと安堵した。
 工房メイドのすることにはあまりとやかく言わない(言わせてもらえない)工房主ではあるが、その反動か食べ物と睡眠には少々うるさい面があり、機嫌を損ねるとすぐにスネるので工房メイド一同は気を使うようにしているのである。非常に面倒くさい雇い主と言えよう。
「アーチェ、悪いんだけど何か軽く食べられるものはあるかな」
 ココアを半分ほど飲んだところで、工房主は遠慮がちに尋ねた。昼食の仕込みを始めていたヴィアーチェは意外そうに目を見開いて、そうですね、と食器棚のほうを見た。買い置きの食パンがまだあることを確かめ、冷蔵庫の中身を思い出してから一つうなずいた。
「トーストとベーコンエッグくらいでしたら、すぐにでもご用意できますが」
「いやいや、トーストだけでいいよ」
「それだけで足りますか? 油っ気が重いようであればゆで卵などはいかがですか」
「あ、それいいね。お願い」
「わかりました。少々お待ちください」
 オーダーを受け、ヴィアーチェは戸棚から食パンを取り出してトースターにセットした。焼きあがるまでの間にバターとジャムを用意し、コンロに水を張った鍋をかけ、ココアのおかわりを注いだ。
「それにしても珍しいですね、主さんが朝食だなんて。どこかへ出掛けられるんですか?」
「うん、ちょっとね。それで唐突で悪いけど、アーチェも一緒に来て欲しいんだ」
「私も、ですか?」
 またしても意外な工房主の申し出に、ヴィアーチェは首を傾げて眉根を寄せた。普段は朝食をとらない工房主が何かを食べたいと言い出すのも珍しければ、休日の午前中からどこかに出掛けようとするのも珍しい。しかもヴィアーチェを伴ってとなるとさらに珍しい。
「あ、何か用があるならそっちを優先してね。こっちはどうしてもっていうほどのものじゃないから」
 そんな彼女の心境を表情から察したか、工房主はそう付け加えた。ヴィアーチェは手を振りながら慌てて否定する。
「いえ、昼食の準備以外にこれといって用はありませんので構いませんけれど……あっ、ひょっとしてお仕事ですか?」
「え? ああ、うん、そうだね。そんな感じ」
「わかりました。お供します」
「じゃあ、お願い。昼を回るのは間違いないから昼食の支度はしなくていいよ。これを食べたら準備して出発しよう。少し遠出になるから、そのつもりで。オーライ?」
「イエス、マスター」
 工房主がふざけてアレッサの口調を真似ると、ヴィアーチェもそれに乗ってアレッサの声色を模して答えた。その様子がおかしくて、遠く離れた場所で真似された本人が大きなくしゃみをしていることなど知らずに、二人は思わず笑ってしまった。


 何から何まで珍しいこと続きです。
 と、ヴィアーチェはやや混み気味の列車に揺られながら思った。
 一つだけ空いていた席にヴィアーチェを座らせ、工房主はその前に立って車窓に流れる景色を見ている。そうしないと乗り物酔いしてしまうからだが、ならばどうしていつものように自分で自動車を運転して出掛けないのだろうか。行き先がかなり遠い、目的地までの道を知らない、車では不便な場所……といろいろ考えられるが、どれもが正解であり不正解だという気がした。
 ならばと直接工房主に行き先を尋ねてみても、
「秘密、ってことで許して欲しいな」
 とはぐらかされるだけだった。深く追求してみてもよかったが、工房主の表情にそうされたくない気配があったのでやめた。
 とは言うものの、行き先がどこなのかに興味がないわけでもない。少なくとも、工房主が普段よりも服に気を使っていることから察するに、滅多に行かない場所なのだろうという推測は立つ。
 工房主は普段の活動範囲よりも遠い場所へ出掛けるとき、例えば日本橋に行くときは工房内で着ているものより少しマシな『よそ行きの服』を着るようにしている。工房内では擦り切れてヨレヨレのシャツでも気にしないが、一応、外出時はそれなりに気を使うようにしているらしい。
 しかし今はそれよりも数段グレードアップして、上下とも新品を下ろしているのだ。イタリアの中堅老舗メーカー製のジャケットとスラックスにシャツの三点セットである。それらはヴィアーチェが工房五周年の際に工房主にプレゼントしたものだ。
「ヴィアーチェからもらった服なんだけど、あまり聞いたことがないブランドなんだ。ローナは知ってる?」
「ええ。イタリアでは結構歴史のあるメーカーですよ。お値段はその三点ですと千二百くらいでしょうか」
「へえ、イタリアンブランドなのに随分お買い得だなあ。格安セール品なのかな」
「あの。円ではなくてユーロですよ? 千二百ユーロ」
「……はい……?」
 ローナの指摘で円換算した瞬間に、工房主は神速をもってそれらを神棚に祀って毎日手を合わせるようになったという伝説級の笑い話がある。そんな高級ブランド服に対するヘタレっぷりを遺憾なく発揮しておきながら、
「値段にビビったんじゃなくて愛するヴィアーチェがくれたものだから大切に一生飾っておくんだよ」
 と意味不明な弁明で工房メイドたちを爆笑させたその服を引っ張り出してきていることからも、行き先が普段と違うことは誰の目にも明白だった。
 仕事と言っていたけれど、いったいどこへ行くのだろう。
 折りしも、今日は――
 楽しみ半分、不安半分で、ヴィアーチェは終点駅に近づいて速度を落とし始めた列車に揺られながら、窓の外を眺める工房主の顔を見上げていた。


 いくつか電車を乗り継ぎ、二人が降りた駅は、同じように下車した乗客でごった返していた。日曜日だからという理由だけではない混雑ぶりにヴィアーチェは圧倒されていたが、意外にも工房主は平然とその間を縫い、人の流れから少し離れた落ち着ける場所まで移動した。ヴィアーチェもなんとかそれについて行く。
「さすがに人が多いね。これは予想以上だ」
「主さんは人込みは苦手だったのでは?」
 あまりにも慣れた動きを見せた工房主を訝り、ヴィアーチェは疑問を口にした。基本的にヒキコモリがちで人込みを避けている工房主が、身軽に人波をすり抜けるスキルを身につける機会も無ければ必要も無いと思っていた。
 しかしヴィアーチェが一つだけ忘れていることがある。
「苦手だよ。でもそこを縫って歩くのはちょっとばかり慣れてるからね。日曜のポンバシとか、ストフェスのオタロードに比べたらこのくらいは大した事ないよ。第一、三井の野郎ならもっと上手く歩く」
 工房主が趣味に対しては結構アクティブで、そのための無駄スキルをいくつか持っている、ということを。
「そうでしたね。私にはそういったスキルはありませんから戸惑ってしまいました」
 自嘲気味にふふっと笑い、ヴィアーチェは言った。
 ちなみに、『三井』とは工房主の友人で、八重崎重工本社に勤める頭脳明晰容姿端麗文武両道のエリートアニヲタ――もとい、エリートサラリーマンである。さらに言うと、元工房キッチンメイドのクレアの夫である。以前三井たちのチームと移籍組を含めた工房メイドで軟式野球の試合を行った際に知り合い、二年の付き合いを経て結婚したというエピソードがあるが、これはまた別の話である。
 ふう、と一息ついて周囲を見回すと、無機質なビル群の中で異彩を放つずんぐりとした建物がヴィアーチェの目に付いた。全体的に青を貴重としたペイントで、正面入口にはサメのキャラクターが描かれている。どうやら工房主の目的はここのようだ、と気づいた。
「水族館、ですか?」
「そう。なんとなくまた来たくなってね」
「え、今日はお仕事……ですよね?」
 仕事と聞いてついてきたのに、と非難がましい顔つきでヴィアーチェが呟いた。しかし工房主はそういう反応をされても意外でもなんでもないという表情で、
「そうだよ。イラストとか小説の資料集めというか取材みたいなもので」
 前もって用意しておいた答えを喋るだけの簡単な作業をこなした。ヴィアーチェはそれがただの言い訳なのかどうかを判断すべく、主の言葉を思い起こし――
「……あれ、今『また』とおっしゃいましたか?」
 違う疑問が口をついて出た。工房主は、ああ、とうなずいてから遠くを見つめた。
「学生の頃に一度、三井と二人で来たことがあるんだよ。この水族館ができたばかりの頃でね」
 あのときは野郎二人で来たにも関わらず思いのほか楽しかったのだが、カップルや親子連れで溢れ返るこの建物を出るときにはなぜか悲しくて仕方なかったなぁ、と封印したはずの思い出が記憶を走り――工房主は少し泣いた。
「ど、どうしたんですか? どうして泣いて……?」
「あ、いや……アーチェと一緒に来れて嬉しいなあって」
 悲愴感たっぷりのエピソードを語って笑いを取るのもアリかと思ったが、アレッサやローナならともかく真面目なメイド長が主の悲しい思い出を笑い飛ばすはずもなく、むしろ真面目に同情される気がして誤魔化すことにした。そんな内心など知らないヴィアーチェは、キョトンとしてから眉をひそめた。
「ええと。泣くほどですか?」
「もちろん。アーチェと一緒なんて、幼い子供のように号泣しても惜しくないくらい嬉しいんだけども」
「へ、変な冗談はおやめください。それと、今はお仕事なんですから、私をその名で呼ばないでください。公私混同です」
 ぷい、とヴィアーチェがそっぽを向く。しかしその耳が真っ赤になっているのを工房主は見逃さなかった。
(じゃ、行こうか)
「かわいいなぁ……」
「はい?」
 思わず心の声と言おうとしていた言葉が逆転してしまい、慌てて口をつぐんだ工房主にヴィアーチェは首を傾げた。
「こ、この前来たときに見たペンギンがかわいかったんだよ。そいつはまだいるのかなって」
「ペンギンですか。私、実際に見るのは初めてです」
「そっか。じゃあ楽しみだね」
「はい。行きましょう、主さん」
 嬉しそうに微笑んで、ヴィアーチェはくるりと振り返って水族館へ歩き出した。
 上手く誤魔化せたらしいと安堵し、工房主もその後に続いた。


 どうやらヴィアーチェはペンギンどころか水族館に来ること自体が初めてのようで、普段の落ち着いた様子はどこへやら、まるで小さな子供のように目を輝かせながら小走りで次々と水槽を覗き込んでいた。珍しい魚がいるゾーンでもなく、適当な言葉ではないが『食卓にのぼっていてもおかしくない魚』の水槽を本当に楽しそうに見ては関心を示していた。
「……すみません。お仕事でやってきたのに、少しはしゃぎ過ぎました……」
 あまりにも熱中していて時間の経過を忘れてしまったのか、順路を半分も進んでいないのに正午を大きく過ぎていることに気づき、ヴィアーチェは赤面しながら浮かれた気持ちを抑えた。
「いいんだよ。ヴィアーチェが楽しんでくれることも目的の一つだから。それよりおなか空かない?」
「ええと、少し……」
「この先にレストランがあるんだ。席を用意してもらってるからそこに行こう」
「わかりました」
 館内のレストランで食事をすることにした二人は、熱帯に住む魚の水槽が周りを囲む席に着いた。広めのホールに大きなテーブルをいくつも並べたところよりも一階層高い静かでこじんまりとしたスペースで、テーブルも二人掛けのものが一つあるだけの特等席である。
「それにしても、じーさま辺りが君を遊園地やら何やら連れ回していたと思ってたんだけど、そうじゃなかったのは意外だった」
 食事も済み、運ばれてきたデザートと紅茶を楽しみつつ、ヴィアーチェがアミューズメントパークの類にほとんど行ったことが無いと知って工房主はしみじみと言った。
「私が小さい頃はお祖父様はまだ現役で、多くの仕事を取り仕切っていましたから、丸一日お休みという日はお正月くらいしかありませんでした。そのお正月も年始の挨拶に来られるお客様との会合で忙しくしていましたし、私はほとんどお祖父様とこういった場所へ来た覚えが無いんです。会長職に就いてからは休日が増えましたが、その頃私は留学でイギリスにいましたし……」
 余談ではあるが、じーさまこと超巨大企業体八重崎グループ会長八重崎義国、ヴィアーチェの祖父が超絶孫バカになったのは、幼い彼女にあまり構ってやれなかった反動であるというのが疑いの余地が無い事実とされている。
「ご両親とは行かなかったの? 芸術家肌の人たちだから、そういうのには敏感そうなんだけど」
 画家の父と音楽家の母が、本人たちは勿論、娘の感性を磨くためにそういったアミューズメントに触れる機会を作っていてもおかしくはない。そう考えた工房主の意見だが、ヴィアーチェはゆっくりと首を振って否定した。
「動物園に二度、遊園地に一度行ったらしいのですが、その頃はまだ小学校に上がる前だったのであまり覚えていません。アルバムの写真を見て、じっと思い起こさないといけない程度の記憶です。小学校に上がってからは美術館やコンサートがほとんどで、あまり『遊び』に出掛けた経験が無いんです。十歳になるまえに両親は日本を出てイタリアに住むようになりましたから、余計に家族で出掛ける機会が減りました」
「そっか……」
 いつだったか、ヴィアーチェが自らを「世間知らずの小娘」と自虐したことがあったが、八重崎家のお嬢様という立場から家族以外とはあまり家の外に出ない(出してもらえない)生活を続けてきたのだから、それも仕方が無いのかもしれなかった。いくら本を読んで知識を蓄えても、実際に見て触れてみなければわからないことのほうが圧倒的に多いものだ。
 そういう意味では、偶然だったとは言えこうして初めての水族館を楽しんでもらう機会を作れたのはよかった。と、周囲を泳ぐ熱帯魚の群れを珍しそうに眺めているヴィアーチェの横顔を見つつ、工房主は思った。
「そろそろペンギンショーが始まる時間だよ。行こうか」
「あ、はい。そうですね」
 言って工房主が席を立つと、ヴィアーチェがそれに続いてレストランを後にした。


 順路を抜けて出入口のホールに戻ってきたときは、もうすでに外は暗くなっていた。
「久しぶりに来たけど、前よりも内容が充実しててよかったよ。ヴィアーチェはどうだった……と訊くまでもないか」
 いつもは厳格な工房メイド長が満面の笑みで両手にお土産を買い込んでいるのを見ていると、楽しくなかったはずがないのは一目瞭然であった。水族館のマスコットキャラは表の壁に描かれたサメなのだが、ペンギンのぬいぐるみやキーホルダーなどを選んでいる辺り、初めて見たというペンギンが気に入ったのだろう。
「初めての水族館はお気に召されましたでしょうか、お嬢様?」
 慇懃に右手を胸に当て、軽くお辞儀をしながら工房主が問うと、ヴィアーチェは心の底から楽しそうにうなずいた。
「はい。とても楽しかったですし、かわいかったです。ぜひまた来たいです」
「それはなによりで。水族館なんて在り来たりなスポットだから心配してたんだけど、そう言ってもらえて安心した。ヴィアーチェを連れてきてよかったよ」
 安堵のため息を吐く工房主。しかしヴィアーチェの表情がその言葉で変化する。
「……やっぱり、これはお仕事じゃなかったんですね。私をここに連れてくるための方便だったんですか」
 笑みを引っ込め、少し怒っているような顔でそう言った。館内を見て歩いているとき、工房主は写真を撮ったりメモを取ったりといったことを何一つしていなかった。終始ただヴィアーチェと一緒に水槽を眺めていただけだった。それを「資料集め」と言うにはいい加減すぎる。
「ま、さすがにバレるか。その通り、仕事じゃないよ」
 何か言い訳でもするのかと構えていたが、工房主はあっさりと認めた。その様子に拍子抜けし、眉間の力が緩む。
「主さん、どうしてこんなことを?」
「きっかけは、日曜にまで工房に来ていろいろと世話をしてくれるアーチェに対する感謝と申し訳なさ、だね。アーチェだって休日はゆっくり休んだりどこかへ買い物や遊びに行ったりしたいだろうに、私のせいでそれができないのは申し訳なくて、お詫びと感謝の意を込めてどこかへ連れていってあげようと思ったわけで。ここならクレアがレストランの料理長をやってるし、特別席をキープしてもらえるように三井に連絡とって無理を言って押さえてもらった。図らずも初めての水族館になって、結果は上々だったと自負してみたり」
「そのことについては何度も申し上げましたが、私の好きで勝手にしていることです。主さんが申し訳なく感じる必要は何一つありませんと、これも何度も……」
「うん、わかってる。だから私も勝手にさせてもらった。……まあ、さっきのは建前なんだけども」
「建前?」
「そう。本当のところは、今日はクリスマスだし、アーチェとデートしたいなって。そう思っただけ」
「デ……っ? え?」
 その単語が出てきて初めて、ヴィアーチェは今日一日の自分たちの行動がそれに該当するのではないかと思い当たった。こういうことに極端に疎いこともあるが、「仕事」というフィルターがかかっていたせいでそれに気づかなかったのである。そのフィルターが外れた途端に顔が真っ赤になって、瞬間湯沸し器も白旗を揚げて降参する速度で蒸気爆発を起こした。
「普通にね、二人で水族館に行こうって誘ったとして、アーチェがうんって言わないのはわかってるんだ。だから仕事という体裁で引っ張り出したわけ。結果的に騙したことになったのは謝る。ごめんなさい」
 これは工房主の賭けのようなものだった。ヴィアーチェがこういう『騙し』を嫌うことを知ったうえで、仕事の名のもとに遊んでいたのだから、彼女が本気で怒りだす可能性は非常に高かった。こうして真相を包まず話して謝って初めて、怒られるか喜ばれるかの五分五分となる。
「…………」
 謝る工房主の声が聞こえていないのか、返す言葉が見つからないのか、ヴィアーチェは無言のままだった。仕事で来ていたはずなのに初めてづくしで心底楽しんでしまっていたことに対する後ろめたさと、傍目にはデート以外の何物でもないことを無自覚にしてしまっていた恥ずかしさ、そして今更ながらそれに気づいて蒸気爆発している自分の格好悪さに頭の中が真っ白になって、どうすればいいのかがわからなくなっていた。
 それでも何か言わなくては、と無理矢理言葉を連ねる。
「も、もうこんな仕事を笠に騙し討ちのようなことはしないでくださいね。絶対ですよ」
 工房主の賭けは、失敗したようだった。
「……すみませんでした。二度としません」
「わかっていただければ、それでいいんです」
 と言ってからヴィアーチェは、しょぼーんと叱られた子犬のように落ち込む工房主を横目に見ながら、心の中で「私のバカー!」と叫んだ。確かに騙されたことは少し気に障ったが、今回はそれ以上に楽しかったため、工房主にお礼を言いたいと思っていたのだ。
 しかし今のやりとりでは全面的に工房主が悪いということになってしまって、まるで自分が完全に怒っているように受け取られてしまう。何事もマイナス思考な工房主のこと、このままでは後々ずっと引きずって心痛するに決まっている。それはヴィアーチェの欲するところではない。
(なんとかしないと……)
 と思っていても、ヴィアーチェ自身もまだ混乱中である。いつものように冷静沈着な言葉を出せるはずもない。
 二人して黙したまま立ち尽くしていると、不意に工房主が気弱な笑みを浮かべた。
「帰ろうか、ヴィアーチェ。遅くなるといけないし」
「えっ、あっ、はい」
 気まずい雰囲気に耐えられなくなったか、周囲の視線が気になったか、工房主はさっさとエントランスを出た。それに遅れてヴィアーチェが続く。
 外は暗く、厚い雲に覆われた空には星はもちろん、月も見えなかった。人工的な街灯の明かりが黒いアスファルトの上にぽつりぽつりと落ちているほかは、時折通る車のヘッドライトの白が流れて行くだけだった。少し先の街路に溢れるクリスマス飾りの暖かい色とりどりの光は、今の二人にはむしろ寒々しく見える。
「……慣れないことはするもんじゃないな……」
 ぽつりと工房主は呟いた。
「ごめんね、ヴィアーチェ。最後までこれは仕事だってことにしておけば怒らせることもなかったし、せっかくの楽しい気分を壊すこともなかった。ああ、でもそうするとヴィアーチェを欺いたままってことになるか、私は決してヴィアーチェを騙したかったわけじゃなくて……ああもう、この計画は最初から破綻してる……! 私みたいなのが賢しらに計画してもダメだってこと、自分が一番よく知ってるはずなのに、こういうことやっちゃうんだよなぁ……」
 ヴィアーチェの懸念どおり、反省モードに入って自虐を始めた。こうなると、ちょっとやそっとでは止まらない。
 だがそこは長年工房主を見てきたヴィアーチェである。僅かなクールダウンタイムで普段を取り戻した彼女になら、それを止めることなど造作も無いことである。
「主さん」
「……ん?」
「ありがとうございました」
「え?」
「今日は楽しかったです。初めての水族館はとても興味深くて面白かったですよ。私を連れてきてくださって、本当にありがとうございました」
 心底から浮かび上がる笑顔で言って、ヴィアーチェは頭を下げた。工房主はキョトンとした顔でその笑顔を見つめる。
「……怒ってないの……?」
「怒る? 主さんは私に怒られるようなことをしたんですか?」
「仕事と偽ったことだよ。そういうのはヴィアーチェが嫌うことだったわけで……」
「ええ? そんなことをしたんですか? もし本当でしたらちょっとお説教をさせていただくことになりますけれど、どういうわけか私の記憶にございません。きっと水族館が楽しかったので忘れてしまったんですね」
 ふふ、と笑って小首を傾げ、ヴィアーチェはすっとぼけてみせた。もちろん楽しかったからといって工房主がやったことを忘れるはずはない。しかしこれは、二人きりで遊びに出掛けると言われると困惑してしまって平常でいられなくなる自分のためにしてくれたことだと思うと、杓子定規な態度は自分の得にもならないし、何より工房主の厚意を無駄にすることになる。それだけは絶対に嫌だった。
「さて。お手数ですが、主さんがなさったという『私を怒らせるようなこと』のご説明を願えますか?」
 そんなものを聞く気はまったくないと言わんばかりの笑顔で言って、ヴィアーチェは答えを待った。工房主はしばらく押し黙っていたが、やがて意を決したようにうなずいた。
「……いえ、私は何もしておりません」
「そうですか。それなら何も問題はありませんね」
 言って、くるりとターンしてみせて、満面の笑顔を浮かべて。
「帰りましょうか、主さん。工房でみなさんがパーティの準備をなさってるのでしょう?」
「なんだ、知ってたの?」
「それはもう、私はあなたのメイドですから。あなたのことはなんだってお見通しです」
「……まいった。降参だ、ヴィアーチェ」
 ひょいと肩をすくめて見せる工房主に、銀髪の彼女はくすくすと笑う。いろいろと普段の彼女なら言わないような恥ずかしいセリフが飛び出しているのは、実はまだ混乱がおさまっていないからか、初水族館のテンションが上がりっぱなしのせいか。はたまたクリスマスの浮かれた空気のせいか。
(ま、どうでもいいや。可愛いし、これはこれで嬉しいし)
 そんなことを考えつつ、工房主は自然とこぼれるニヤニヤを押さえ込んだ。ここはクールに決めなければならない場面だ、と自身に言い聞かせて。
 ……そんなことをしてもサマにならないのが工房主という人間であるが。
「それと。休日で二人のときは愛称で呼んでくれるんじゃなかったんですか? 今はお仕事の時間ではありませんよ」
「そうだったね。……『アーチェ』」
「はいっ」
 クールに振る舞いたい工房主の希望を叶えつつ、ついでに自分が欲しい言葉を言ってもらえるように誘導したヴィアーチェは、思ったとおりの結果に嬉しそうに返事をして、街灯の光の輪の中で至高の微笑みを見せたのだった。


「それはそうと、主さん」
「ん? どうしたの、アーチェ」
「今度からは仕事にかこつけたりしないで普通に誘ってくださいね。そうでないと私が仕事でしか主さんとお出掛けできない堅物女みたいで気分がよくありません」
「そりゃ、そうできるならそうしたいけどさ……」
「けど?」
「アーチェに『デートしよう』って言ったら蒸気爆発して逃げるじゃないか。二人だけのときは『アーチェ』って愛称で呼ぶようにしたときも、慣れるまで半年もかかったし。あまりにも慣れてくれないから、アレッサたちにもそう呼んでもらうようにしようとしたら『主さんがつけてくださったその名で私を呼んでいいのは、世界で主さんだけですっ!』とか恐ろしく可愛いこと言うし。あの時は本気で萌え死ぬかと思った」
「……以後気をつけます。頑張ります」
「そっか。じゃあさ、正月に二人で出掛けようよ。ドライブデートなんていいんじゃないかな」
「デっ……あっ、そのっ、無理ですっ!」


(……当分、デートって言葉を使うのは無理そうだなぁ……)
 と、工房主は帰りの電車に揺られながら思ったのだった。


          完

 
創作小説 | Comments(2)
Comment
みなとも殿、こんばんわー。

クリスマス短編、あざーっす。

これ、主人公がやたら落ち着き払って
堂々としてて、かっこいいじゃありませんか。

そして、びあーちぇ相変わらず萌えさせてくれるぢゃないっすか。
◎ まったくさん

小説(妄想)の中くらいはカッコよくなりたいじゃないですか!(笑
実際のヘタレ具合を認めたくなくて書いてる面もありますし。言ってみれば理想の自分を反映してるんですよ。うん。

ヴィアーチェが萌えるのは、まあ、大自然の摂理というやつですね。親バカと言われようとそれは不変なのです。
……あ、この子は私の嫁ですからね!あげませんからね!(何

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