2017/05/20

工房小説 『美鈴開花』 中編

 登場人物の名前にピンときた方。
 まあ、そういうことなんですけども、わかるってことは地元なのかなぁ、とか。
 ストーリーには関係ないんで、そこはスルーでよろしくですぅ。



 この作品はフィクションです。
 登場する団体・人物等は現実のものと一切関係ありません。



 前編を未読の方はコチラ → 前編を読む


 


 翌日から、美鈴は演劇部の練習を見学することになった。長坂が許可を得てきたとはいえ、校内でも評判の良くない被服研の部員が他所の部に顔を出すのはやはり芳しくないのではないかとの不安を抱えつつ、演劇部一同の前に立つ。
「えと、一年の朱美鈴です。お邪魔します」
 上手い挨拶が思い浮かばず、不恰好な紹介になってしまったが、部員たちはさして気にも留めずに拍手を送ってくれた。
「初めまして、部長の加納です。今回はお手数をかけてしまって」
 今回の主役に抜擢されている三年の加納は、申し訳無さそうに頭を下げて挨拶した。それに続いて他の部員たちも自己紹介する。想像と違って歓迎ムードになっているせいか、美鈴は少し拍子抜けしてしまった。
「よし、じゃあ練習を始めるぞ。見学者がいるからと変に気負うなよ」
『あいよー』
「いや、もうちょっと気合は入れてくれ」
『サー、イエッサー!』
「入れすぎ。お前ら加減ってものを知らないのか」
 加納と部員たちのやり取り(どうやらお約束のようだ)を見ていて、美鈴は思わず笑ってしまった。長坂のような自己主張が苦手そうな人間でも、加納なら上手く輪に溶け込ませてくれるだろう、という気がした。
「朱さん。今はまだ台本の読み合わせと立ち位置の確認の段階なんだけど、参考になります?」
「なんだって参考にします。それより長坂さん、ヒロインなんですから舞台に行かないと」
「あ、そうでした」
 へへ、と照れ笑いしながら長坂は小走りに駆けて舞台に向かった。
(一年生でヒロイン、か)
 入部半年も経たないキャリアでヒロインに抜擢されるのは非常に珍しいケースと言えるだろう。長坂によほどの演技力があるか、華があるか。あるいはその両方であれば納得は容易である。
 しかし現実は違う。
 この演劇部には女子部員が二年の山城と東山、そして長坂の三人しかいない。そもそも部員総数が六人だけという小所帯なのだ。
 山城は幼少の頃から演劇をやっているのでキャリアは十分なのだが、いかんせん『脇役の女王』という異名を持つほど、自分は目立たずヒロインを引き立たせる演技しかできない変り種である。一度主役のヒロインを演じさせたところ、地味すぎる演技の盛り上がらなさに部員一同が絶望したという逸話があったりする。
 一方、東山は初めから裏方志望で入部しており、舞台には一切立たない。配役の関係で出演するにしても、セリフや高度な演技の必要がないモブ以外は絶対にしない、でなきゃ部を辞めるという始末である。ワガママ放題の問題児ではあるが、音響関係の仕事が職人レベルなので手放し難い人材なのだ。
 そうすると、消去法でキャリアの浅い長坂がヒロインを演じるしかなく、異例の抜擢となってしまうのだった。
(長坂さんって、いつも一人だし、人と話したり目立つようなことをするのが苦手な人って見ていて思うんだけど……演技なんてできるのかな)
 そんなことを思いつつ、部屋の隅で舞台を眺める美鈴。シナリオを読む限り、ヒロインのメイドはあまり自己主張しないおとなしいタイプなので、ある意味長坂は適任とも言える。しかし本当に大人しい人間と演技でおとなしい人に『なる』のとは、どうにも勝手が違う気がする。
「よーし、じゃあ見学者もいることだし、気合入れて最初からセリフを通して行くぞ」
 加納の指示で東山を除く五人がシナリオを手に舞台の真ん中に立ち、セリフを読み始めた。東山は舞台袖の机に座ってノートパソコンを操っている。どうやらそれで音響を操作するらしい。
「…………」
 ふうん、と美鈴は小さく息をついた。
 演劇に関しては素人だが、各人の技量はセリフ読みだけでおぼろげに見えてくる。
 加納、山城は今すぐプロの劇団に入ってもそこそこの役をもらえるレベル、一人二役をこなしている三年の寺田は高校生にしては器用で上手い、一年の平石は緊張と経験不足で声が出ていない、といったところだった。
 肝心の長坂は、一生懸命なのは見ていてわかるが、加納と並ぶと技量不足が目立ってしまう。普段の目立たない大人しい様子からは想像もつかないくらいに生き生きとしているが、根本的に声が小さいようで部屋の最奥にいる美鈴のところまでセリフがはっきりと聞こえてこないのだ。声質はそれなりに通るのでいいとしても、全くと言っていいほど声量が足りていない。
(本番まで三ヶ月弱……大丈夫なのかな)
 部外者であることも忘れて、美鈴は演劇の成否を心配していた。


 八月の中旬も過ぎ、被服研の面々が大イベントを乗り切って真っ白に燃え尽きる中、そこに参加して疲労困憊のはずの美鈴は演劇部に足しげく通っていた。夏休みで静まり返った校舎内に発声練習の唱和が響き、その中に長坂の声を確かめると、日に日に進歩していく彼女の努力に敬意を持たざるを得なかった。
 わずか二週間で長坂は発声法をほぼ体得し、舞台上で存在感のあるセリフ回しができるようになっていた。それは加納も舌を巻くほどの成長ぶりで、有望な新人が出たと大喜びするくらいだった。
「私も負けてられませんね」
 長坂の不断の努力に触発されて、美鈴も頑張って衣装を完成させようと作業を始めた。舞台はすでに立ち稽古の段階に入っていて、動きや振り付けもある程度入るようになっていた。それをじっと観察しては気づいたことをメモし、衣装作りに取り込んでいく。決定稿だと思われたデザイン画はおびただしい書き込みがなされ、さらなる改善が盛り込まれた衣装の設計図に変容していった。
「本当にお手数をお掛けして申し訳ないです」
 と加納は美鈴に言った。
 衣装の作製に入る前に役者の採寸しているときのことである。
「主役二人だけでなく、他の役の衣装も作っていただけるなんて……」
「大丈夫です、作るのは好きですから。それに練習を見学させてもらって、いい刺激になっていますし」
 メジャーで測った加納の肩幅をメモしながら、美鈴は嬉しそうに答えた。試験的に作ったメイド服を自身で着て演劇部の面々に披露したところ、上々の反応と賛辞があったのが満足だったようだ。
「長坂さんのこの演劇にかける熱量にあてられたんでしょうか、私は部外者なのに絶対に舞台を成功させたいと思ってしまって」
「させますよ、絶対に。美鈴さんの好意と努力を無駄にはさせません」
「頼もしいです」
 ふふ、と笑って、美鈴は山城に採寸されている長坂を見た。その瞬間二人の目線がピタリと合い、はっとした顔で長坂がうつむいてしまった。
「……?」
 どうしたんだろうと思ったが、今自分が身につけているのが件のメイド服なので、それを見ていたのだろうと思い、気にするのをやめた。深く考えてもわからないことは考えないようにしているのだ。
 全員分の採寸が済み、デザインも含めてゴーサインが出たところで美鈴はさっそく製作に取り掛かった。演劇部の練習には顔を出さずに被服研の部室にこもって、主役の二着を作る前の肩慣らしで他の役者の衣装を突貫で作り上げた。
「しばらく見ないうちにすごくなりましたね。プロの劇団を見ているみたいです」
「言いすぎですよ、朱さん。でもありがとう」
 夏休み最終日に衣装を届けたついでに練習を見学した美鈴は、長坂の成長に素直な感想を贈った。それに同調するように、加納も大きくうなずく。
「まったくだ。正直、最初はどうなるかと思っていたが大したもんだよ、長坂」
「本当ですか部長。ありがとうございます」
「俺の最後の舞台は、いいものになりそうだ」
「……最後?」
 その言葉に引っかかり、美鈴は眉根を寄せた。ああ、と加納が応える。
「三年は文化祭を最後に引退するんですよ。だから長坂もシナリオや衣装に気合を入れてくれてるんです」
「それはもう、先輩の花道を飾るのは後輩の役目ですから」
 言って長坂は嬉しそうに笑い、加納にわしわしと頭を撫で回されてさらに笑った。その表情は今まで一度も見たことがなかったものだったせいか、美鈴は意外に思った。そういう顔もできるんだな、と。
「よーし、じゃあ練習を続けるぞ」
 部長の合図に部員全員が元気に答え、東山を残して舞台に集まった。美鈴は舞台袖の音響職人の隣に座り、なんとなく感じた疑問をぶつけてみることにした。
「あの、東山さん」
「……何?」
「ひょっとしてなんですけど、長坂さんって部長さんが好きなんですか?」
「さあ。そうなんじゃない? 知らないけど。興味もないし」
 面倒くさそうに答えて、それ以上無駄話は聞かないからと言わんばかりにヘッドホンをつけて、ノートパソコンに目をやった。どうやら作曲をしているらしく、画面上の五線譜に音符をぽちぽちと並べている。
「お邪魔しました」
 聞こえていなくとも礼だけ言って、美鈴は小さく息をついた。
 舞台では序盤の見せ場にあたる王子がメイドに愛を語るシーンが展開していた。ここではメイドが王子に対し身分の違いを理由に受け入れられないと答えるが、最終的にはメイドの方から諦めかけていた王子に結婚を申し込むというシナリオになっている。
 長坂はその心情の変化を巧みに演じられるようになりつつあるが、果たしてそれはただの演技なのだろうか。あまりにも熱が入りすぎてはいないだろうか。
 引退する先輩の花道を飾るには、少々熱すぎるのではないだろうか。
 ……というようなことを美鈴は思っていた。


「なっ、なんで……っ!」
 よく言えば天然、悪く言えばものを考えない美鈴は、思ったことをそのまま長坂に尋ねていた。ひょっとして加納が好きなのか、と。
「ええと、衣装にクオリティを求めすぎていますし、異世界ファンタジーとは言えラブロマンスのシナリオを選択していますし、部員構成の関係であなたが加納さんの相手を務めなければならないシナリオにアレンジしてありますし、何より――原作にはメイドが王子にプロポーズするシーンはありません。それを改変し追加したというのは何らかの意図があってのことでしょう。それは舞台の上だけでも加納さんに愛を囁いて欲しい、自分から愛を告白したいという気持ちの表れなのだと、私には見えるのですが」
 明け透けな推理に長坂はしばし迷うようにうつむいた後、睨むように美鈴を上目で見た。恨みがましい表情だったが、顔全体が真っ赤だったのでまったく迫力がない。
「……朱さんって探偵か何かなんですか?」
「違いますけど」
「じゃあ、探偵になればいいと思いますよ」
「夢はデザイナーです。探偵はちょっと……」
 皮肉を言われていると気づかず、キョトンとしながら美鈴は言葉を返した。長坂は呆れて心底疲れたような長いため息をついて、小さく笑った。
「おっしゃるとおりですよ、朱さん。私は加納先輩が好きです。舞台上で愛を語り合って、その流れで現実でも告白できるかなって。そんな不純なことを考えてました。これでいいです?」
 笑っているが、長坂の目は完全に怒っていた。遠慮も何もない物言いで図星を突かれただけならまだしも、反撃の皮肉がさっぱり効果なしときては怒りたくもなる。
 美鈴は自分の意図がまったく伝わっていない(そもそも伝えていないのだが)とすばやく察知し、慌ててフォローを入れた。空気を読まない発言をすることもあるが、決して読めないわけではないし人の機微に鈍感でもない。
「すみません、怒らせるつもりはないんです。そういうことなら私も応援しようかと……」
「はぁ? 応援?」
「ええ。腕にヨリをかけて、長坂さんが最高に綺麗に見えるような衣装に仕上げます。加納さんがグラっと来るくらい、派手で目立つ衣装を」
「私の役はただのメイドです。派手にしてどうするんですか」
「あ。そうでした。で、でも、長坂さんを最大限引き立てる出来にしますよ。任せてください」
「……ぷっ」
 美鈴の慌てぶりがおかしかったのか、長坂は思わず噴き出してしまった。口から漏れた吐息に混じって怒りも抜けて、残ったおかしさにまかせて大笑いする。また何か変なことを言ってしまったのだろうかと不安になった美鈴は、あわあわと眉を八の字にして震えた。
「な、長坂さん……? 大丈夫?」
「真純でいいですよ。そろそろ名前で呼んでくれても?」
「え? え? じゃあ、ますみん?」
「あ、それいいですね。『ますみん』。いい感じ」
 咄嗟に出たあだ名がいたく気に入ったのか、長坂は嬉しそうに目尻を下げた。
 よくわからないが怒りは解けたらしい、と安堵した美鈴はほっと胸を撫で下ろす。
「じゃあ、私のことはメイリンと」
「メイリン? 『みすず』じゃなくて? ……あ、そうか『美鈴』の中国読み。『朱』なんて珍しい苗字だと思ったら、そういうことですか」
 薄々ただの日本人ではないんだろうなと思っていたため、すぐに由来に気づいた。演劇のためにと読み漁った本の中に同名の登場人物がいて知っていたのである。
「私、日中のハーフですから。中国は広島の生まれ」
「いやそんな、お笑いマジシャンの古いネタを出されても若い子は誰も知りませんから」
「ですよねぇ。母が自己紹介のときにそう言うとウケるって言ってたんですけど、ウケたことがないんです……」
 ショボン、とわかりやすく肩を落とす美鈴。この三年後くらいにこのネタで腹筋が切れるほど大笑いする男が彼女の前に現れるが、それはまた別の物語である。
「……ホント、不思議な人ですね」
「そうかな……自分じゃわかりません」
 言って美鈴は困ったように笑った。


 夏休みが終わり、二学期が始まって一ヶ月が過ぎた。月末に文化祭を控えた十月に入ると、学校中がにわかに雰囲気を変え、お祭りムードがじりじりと熱を帯び始める。
 この頃には衣装作りも終わっていて、演劇部も舞台の完熟を目指して練習を繰り返す段階に入っていた。最初は不安視された長坂と平石も、順調に演技を身につけて一端の劇団員と成長していた。
 美鈴は衣装のクオリティをさらに上げるために演劇部の練習を欠かさず見学し、気になったところはすぐさま改修できるようにしていた。長坂を応援すると約束した、その責務を果たすために。
 後押しを受ける立場の長坂は、加納の最後の舞台の後に自分の気持ちを彼に伝えることを決意していた。だからこそ、大前提として舞台を成功させなくてはならない。少なくとも自分のミスで台無しにするようなことは絶対に避けなければならない。そうならないためには、練習に練習を重ねること。それ以外に今の長坂にできることは何もなかった。
(ますみん、無理してなきゃいいけど……)
 練習を見学している美鈴の目には、長坂が焦っているように見えた。失敗できないプレッシャーに背中を押されすぎて暴走している、そう感じた。
 ――そしてその懸念は、悪しくも的中した。
「喉を潰した……?」
 長坂が一日学校を休んだ翌日、美鈴は当人からそう告げられた。まさかそんなと思ったが、たった今聞いたかすれて潰れた声が何よりの証拠である。
「どうしてそんな」
「じつ……は……っ……」
 長坂は喋ろうとして苦しそうに咳き込み、心配そうな顔をした美鈴の見ている前でカバンのノートを取り出してカリカリと文字を連ねた。
『昨日の夜中、喉が焼けるような痛みで目が覚めて、救急で病院に行ったら、喉が炎症を起こしているから、当分は大声はもちろん普通にしゃべるのも控えなさいと言われた』
 走り書きの文章を読み、美鈴は返す言葉を失った。
『部活が終わって家に帰ってからも、睡眠時間を削って遅くまでセリフの練習や発声練習をやってたから、風邪と疲労でノドが壊れちゃった。誰もいないからって吹き曝しの河川敷でやってたのがまずかったみたいね』
 そう書いて、へへ、と長坂が笑う。その笑顔が無理矢理作っているものだということは美鈴でなくてもわかる。現状を受け入れられない強がりの笑み以外の何物でもない。
「その、喉は治るんですよね?」
『声を出さなければ心配しなくていいって言われた』
「そうですか、よかった……」
 最悪の事態にならなくて済んだと胸を撫で下ろし、美鈴は安堵のため息をついた。しかし、一つ安心すると、また一つ懸念が浮かぶ。
「文化祭には……間に合うんですか?」
 長坂の様子からそれはないと半ば理解していながら、美鈴はわずかな可能性にすがるように訊いた。喉を潰してしまうほど頑張って練習に打ち込んだのは、何においても文化祭の舞台とその後のためである。故障したのは残念だが、回復が間に合うならまだ希望はある。
 しかし――長坂はゆっくりと首を横に振り、ペンを走らせた。
『医者には最低二ヶ月は安静にって言われた。演劇なんてもってのほか、ってね。ごめんね、せっかく衣装を作ってもらったのに、舞台に立てなくなった』
「衣装なんてどうでもいいです。ますみんの喉の回復のほうがずっと大事です。……それで、演劇部に連絡は?」
『まだ。放課後、部室に行って知らせる』
「……大丈夫ですか?」
 ノートの字が少し震えて歪になっているのを見て、美鈴は心配そうに訊いた。長坂はペン握りなおして『大丈夫だから』と書き、少し間を置いてガリガリと上から塗りつぶしてうつむいた。それからしばらく迷うようにペン先を虚空に彷徨わせ、やがて覚悟を決めたように文字を刻み始めた。
『正直つらい。みんなに迷惑かけるし、加納先輩を失望させることになるし。もう告白どころじゃなくなって、どうしていいかわかんない。自分の加減のなさでこんなことになったのが悔しいやら情けないやらで、昨日は一日中一生分くらい泣いたのに、まだ涙が出てきそうだよ』
 長い文章を書き終え、ニコリと笑う長坂。泣き言を吐き出して少しはスッキリしたと言わんばかりの笑みがかえって痛々しく、美鈴は何とも言えない気持ちになった。
「ますみん……」
『そんな顔しないで、メイリン。なっちゃったものはしょうがない。受け入れるしかない。それでもあなたは私を応援してくれるんでしょ? そんな泣きそうな頼りない応援団なんて要らないんですけど? もう無理だってわかってる応援し甲斐のない相手じゃやる気出ない?』
「まさか。文化祭が失敗したって、ますみんが加納さんを諦めないなら応援するって決めています」
『うむ、それでこそ広島育ちの心意気じゃけぇのぉ』
「私、生まれは広島ですけど一歳のときにここに引っ越してきたので広島育ちじゃないです」
『そこは真面目に返さないでさぁ、ネタに乗っておこうよ』
「え? あ、ごめんなさい」
 慌てて頭を下げると、長坂は声を出さずに笑いながら『やっぱりメイリンって不思議な人。話してると何とかなりそうな気がしてくる』とノートに書き、口だけを動かして「ありがとう」と言って、先ほどとは違う、悲観した気配の無い笑顔を美鈴に向けた。


 長坂の状況を理解した演劇部の面々は、一様に困惑した面持ちで互いの顔を見合わせた。本番まで三週間を切っているところでヒロインが離脱するのだから当然の反応ではあるが。
「……山城、今からヒロインはできるか?」
「無理です部長。私が脇役しかできないのはよく知っているでしょう。ヒロインのセリフも全部入っていませんし」
「東山……」
「無理。セリフのないモブか裏方以外をさせるなら退部しますって言いましたよね」
 二人の女子部員に断られ、加納は頭を抱えた。ちらりと一人二役で出演している寺田を女装させる案を考えたが、自分より身長が高く柔道部員並みにゴツい体の寺田がヒロイン役ではどう考えてもコメディにしかならなさそうだったので即時却下した。平石は端役で手一杯で、セリフの多いヒロインを頼める余裕などまったくない。
 万策尽きた、と絶望のふちに立った加納の視界に入ってきたのは――美鈴。
「そうだ美鈴さん、あなたがヒロインで舞台に上がってくれませんか?」
「えっ……? 私ですか?」
 部外者を決め込んでいた美鈴は、唐突な指名に困った顔で問い返した。長坂ははっとした顔で手にしたノートにペンを走らせる。
『メイリンなら最初から舞台の練習を見てるから動きはわかってるだろうし、シナリオを読んでいるからセリフも入ってるんじゃないかな』
「それは、まあ……でも、私、演劇なんて……」
『大丈夫。メイリンは声が綺麗だし、かわいいし、きっと上手くできるよ。ほら、一度舞台に立って、セリフを喋ってみて』
「でも……」
「こちらからもお願いします。演劇部を助けると思って、ヒロインを演じてください」
 逡巡する美鈴に、加納が折り目正しいお辞儀をして頼み込む。他の部員も懇願するような視線を向けていた。今までチームワークなどお構いなしに一匹狼を貫いてきた東山すらも美鈴にすがる目をしていた。
 しかし美鈴はうんと言わずに困惑したままだった。演劇の難しさはずっと長坂の努力を見てきて理解しているし、自分に彼女と同等の演技ができるとは思っていない。しかも舞台の中心に立つヒロインをやれというのは無茶にもほどがある。
 そんな美鈴に焦れたのか、長坂は憤然と美鈴の腕を掴んで舞台に引き上げ、加納をその隣に立たせて、
『クライマックス、メイドが王子に愛を告げるシーン。加納先輩、八十六番のセリフを』
 とノートを開いて見せた。長坂の意図を察した加納は瞬時に演技に入り、セリフを発した。
「なんだ、こんなところに呼び出したりして。俺とお前は、使う者と使われる者でしかないんじゃなかったのか? メイド風情に愛を語った俺をまだ笑い足りないのか?」
「…………」
『ほら、メイリン。黙ってないで演技して!』
 長坂に促され、加納にじっと見つめられて、美鈴はしかたないなと諦めた。覚悟を決め、すぅ……と小さく息を吸い込み、暗記したシナリオを『ヒロインになったつもり』で読んだ。
「……笑い飛ばしたいのは、私の心です。王子」
『っ!』
 一言。
 たった一言で、美鈴はその場にいた全員の意識を撃ち抜いた。
 声、表情、感情、仕草。その全てが、三ヶ月みっちりと練習してきた長坂よりもずっと、遥かに上回っていたからである。
「あなたの気持ちを聞いたあのとき、私は戸惑いと恐怖で一杯でした。ですが、あなたの愛を仕草で見て、触れた手の温かさで知った今、恐れる心も迷いも消えてしまいました。あるのは……あなたへの純粋な恋心だけです」
「…………」
「…………」
「…………」
「……? 加納さん? 次は王子のセリフでは?」
「えっ、あっ、そ、そうか……ええと……なんだっけ」
 美鈴の演技で受けた衝撃から覚めやらず、加納は戸惑ってセリフを飛ばしてしまった。少なくとも、こんな加納を部員たちは初めて目にした。それほどまでに美鈴の演技はインパクトがあったのだ。
「いや、これは驚いた……。美鈴さん、さっきは演劇をやったことはないと言ってましたが、経験があるんでしょう? 主役かそれに近い配役で、血の滲むような練習を重ねたとしか思えない」
 セリフが出てこず、演技を続けられなくなった加納は降参したかのように両手を挙げて言った。キョトンとしながら、ふるふる、と首を横に振る美鈴。
「小学生の頃、学芸会で草むらの役をやりましたけど、動きもセリフもなかったです。それ以外に役をもらったこともありませんし」
「嘘だろう……経験なしでさっきの演技ができるなんて、まさかそんな……信じられない」
「んー……なんでしょう、その人になりきって喋っただけというか……」
「なりきる?」
「はい。私は衣装を作るとき、それを着る人を想像するんです。喋り方、声、仕草、性格、そういうものを想像します。で、その想像した人になりきることで衣装をどう作ればいいかがわかってくるというか……ううん、上手く説明できません」
『それがさっきの演技とどう繋がるの?』
「さっきはヒロインのメイドの衣装を着ていると自分に思い込ませて、メイドになりきったんです。そうしたら勝手にセリフが出てきて、喋ったらみんながぽかーんとし始めて……本当に衣装を着ていなかったので、あまり上手くなりきれなかったんですけど」
「…………」
「……?」
 周囲の驚愕に満ちた表情と沈黙の意味がよくわからないのか、美鈴は眉根を寄せて首を傾げた。自分がどれだけ難しいことをいとも簡単にやってのけたのかという事実に気づいていない。
「ともかく、ますみんに言われてやりましたけど、演劇経験もないのにヒロインなんて無理です」
「いやいやいやいや! 大丈夫! 大丈夫だから! 十分だから! 改めてお願いしたいんですが!」
「私もそう思う。美鈴さんがヒロインなら私は文句言わない」
 加納、山城が言うと、やる気のない美鈴は困った顔で長坂を見た。
『私からもお願い。ポンコツになった私に代わって、部長の花道を飾ってあげて欲しい』
「…………。本当にいいんですか? 演劇部でもない、ド素人の私で」
「あなたしかいません」
「本当に嫌なんですけど」
「お願いします」
 きっぱりとした清々しい加納の一言で、強硬姿勢だった美鈴もそれ以上の頑固者に折れてしまった。
「……わかりました。やります。でも失敗しても知りませんからね」
 誰一人ダメだと言わない空気に飲み込まれ、渋々うなずくしかなくなり、深いため息混じりに承諾した。
「大丈夫です、よろしくお願いします!」
 加納以下演劇部全員が深々と頭を下げ、笑みを浮かべた。
 長坂も、好きな人の喜ぶ顔を見られて、ほっと一安心した。


 結論から言って、美鈴は完璧にヒロイン役をモノにしていた。衣装を身につけた美鈴は、そうでないときよりもずっと深く強烈なインパクトをもってメイドを演じて見せた。それは今すぐにでもプロの役者になれると誰もが思っていた加納の演技力を凌いでおり、ともすれば彼を食ってしまうレベルであった。
「……まったく、恐ろしいもんだな。美鈴さんは」
『そうですね。私もあれほどとは思いませんでした』
 本番前日の練習後、美鈴が衣装の最終チェックのために一足先に帰宅し、残った演劇部のメンバーが後片付けをしているときに、しみじみと加納がつぶやいた言葉に長坂が同意した。
「演技だとわかっているのに、彼女に愛の言葉を囁かれると本気になってしまう。頭の中が彼女のことでいっぱいになるから困ったもんだ。本当にいい人を連れてきてくれたよ、長坂。ありがとう」
『いえ、そんな』
 加納から褒められて嬉しい。役に立てて嬉しい。
 ……はずなのに、妙にざわざわした気持ちになって長坂のペンが止まった。その気持ちの正体がなんなのかわからない――ということもなく、瞬時に理解していた。理解したくないのに、してしまった。
 ざぁっと全身から血の気が引いたように、うつむいた長坂の顔色が青くなる。
 その隣に立っていた加納はそれに気づかず、部員たちに声をかけた。
「本番は明日だ。万全で臨むために各自休養と体調管理はしっかり頼むぞ」
「わかってますよ部長、毎回毎回本番前に同じことを言わなくても。飽きませんか?」
「うるさいよ山城。気を抜くなってことだ」
 言って加納は笑った。他の部員たちも笑い――長坂は表情を凍らせていた。
「……ん? どうした長坂。具合でも悪いのか?」
 後輩の異変に気づいた寺田が声を掛けた。ハッと顔を上げて、長坂は叩き付けるようにペンを走らせ、
『何でもありません、失礼します』
 と書きなぐったノートを放り出して部室を飛び出した。その場にいた東山以外の全員が誰もいない開け放しの出入口を見つめ、ぽかんとする。
「どうしたんだ……?」
「さあ」
 わけがわからず、寺田と加納は顔を見合わせて首を傾げた。
「……追いかけたほうがいいですよ、部長。今のは部長が悪い」
「は? どういうことだ、東山?」
「わかんないですか?」
 面倒くさそうにため息をついて、東山は眉間にシワを刻んだ。
「喉を潰してヘコんでる長坂に『体調管理をしっかりやれ』って追い討ちしてどうするんですか。舞台は余所者が頑張ってくれてるからいいけれど、その余所者に役を奪われた長坂がどんな気持ちなのか、考えたことないですか? 部長の最後の花道を飾るって息巻いていたのを知らないわけじゃないでしょうに、無神経にもほどがあるってもんですよ」
「まさか、長坂が美鈴さんを推挙したんだぞ」
「舞台を台無しにしたくなかっただけですよ。自分のせいで舞台がダメになるくらいならと余所者にすがっただけ。……あれ、ひょっとしてそこまで思いつめているとは思ってなかったんですか? いつもと変わらず元気だったと? ドコを見てたんですか。あんなの空元気に決まってるじゃないですか。長坂がどれだけこの舞台のヒロインに入れ込んでいたかなんて、あの子が書いたシナリオを読み込んで、あの子が余所者を連れてきてまで作った衣装を着て、あの子の一番近くで演技していた部長が一番理解してるんじゃないんですかね」
「う……」
「全部アンタのためでしょうが。それなのにあんな無神経なこと言って。……まぁ、別に私は舞台で音楽流せりゃそれでいいんで、長坂がどうなろうとどうでもいいですけど」
 言いたいことを言い切って、東山はヘッドホンをつけてノートパソコンに視線を移した。
「好き放題言いやがって……! くそ!」
 チームワークのなんたるかを全く考えない後輩に「もっと人を見ろ」と高説を垂れられ、加納は湧き上がった怒りに任せて怒鳴り散らしそうになったが、それは後でもできると思い直してぐっとこらえ、部室を駆け出た。東山に言われたことは全て正しいと気づき、自分が今すべきは長坂を追ってフォローすることだと理解したのだ。
 廊下を走り、最初の角を右に曲がって、その先に長坂の背中が見えて――
「待て、長坂!」
 舞台上ではよく通る加納の声は届かず、追いかけた背中は廊下に溢れる生徒たちの波に飲まれて消えた。それを掻き分けて長坂がいた場所までたどり着いたときにはすでに探している姿はなく、見回してみても見つからなかった。




     後編に続く...

 
創作小説 | Comments(0)
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