2017/05/21

工房小説 『美鈴開花』 後編

 クライマックスぶった切りな感じになってなくもない気がするんだけども、ハッキリ書くよりも含みを持たせた方がいいかなぁと思った結果のものですので、ご了承ください。
 決してキッチリ書くのが面倒になったから誤魔化したとかそーゆーんじゃないですから。
 …違いますってば!(小声



 この作品はフィクションです。
 登場する団体・人物等は現実のものと一切関係ありません。



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 本番当日の朝。
『喉の調子が悪いから病院に行ってきます。メイリン、舞台をよろしく』
 と書かれたメモがロッカーに挟まっているのを見つけた美鈴は、演劇部にそのことを知らせようと人波を縫って急いだ。
「ああ、はい。わかりました」
 部室で台本を読んでいた加納は、その報告に一言素っ気無く答えただけで、またうつむいてセリフのチェックに戻った。美鈴はその様子に違和感を覚えたが、昨日の出来事を知らないので、本番前に集中しているだけなのだろうと思った。この話は終わってからにしよう、と。
 長坂を欠いた演劇部は淡々と準備を進めた。体育館の舞台上で漫才をしている二人組を横目に大道具を舞台袖へ搬入し、役者は着替えを手早く済ませ、全員の準備が整ったことをお互いに確かめ合って、出番の時間が来るのを待った。
「緊張していますか?」
 加納が主役として初舞台になる美鈴に声を掛けた。他の部員は平石を除けば舞台経験があるので緊張はあれどガチガチに硬くなったりはしないが、美鈴は違う。普通なら緊張していないわけがない。
「いいえ、王子。全然緊張などしておりません」
 しかし美鈴は普通ではない。平然と、舞台が始まる前だというのに、『メイド』として美鈴はそう答えていた。
 演劇で緊張するのは「失敗したらどうしよう」「上手くできるだろうか」なとど考えてしまうからであって、メイドを『演じる』のではなくメイドに『なる』美鈴に、役を『演じ損なう』という感覚が存在しない。役に入り込みなりきってしまった彼女は、どこまでいっても、何をしてもシナリオの中にいる『メイド』の言動となるのだから、失敗のしようがないのだ。ゆえに緊張も、ない。
「……なるほど、頼もしい」
 その落ち着き払った姿に、むしろ自分のほうが緊張していることに気づかされ加納は小さく笑った。舞台に立つ緊張はいつになってもなくならないが、今は他の事に対する緊張が勝っているので、演技することの怖さや不安は一切なかった。
「そろそろですよ」
 舞台を窺っていた東山が声を掛けると、案外ウケを取っている漫才が終わり、緞帳が下りた。舞台に大道具を設置しながら、寺田と平石が場面転換の作業手順を確認する。東山は舞台が始まるまでの音楽を流して音量調整を行い、最終チェックにオーケーを出した。
「よし、じゃあ始まるのを待つだけだ。練習どおりでいい、本番だからと気負うな」
 加納が声を掛けると、全員がうなずいた。
 それから十分が過ぎ――山城のナレーションと音楽で、舞台は始まった。
 

 完璧。
 その一言に尽きる演技だった。
 加納はもちろん、山城も、寺田も、平石も。これまで一生懸命練習してきた成果を全て出せていた。誰一人ミスすることなく、シナリオは進んで行く。観客はまるでプロの演劇を見ているような錯覚を起こすほど、彼らの舞台は強烈な引力を持っていた。
 その中心は、やはり美鈴だった。決して目立ちすぎることなく、王子を引き立てながらもヒロインとしての存在感はしっかりと出している。これが初舞台だと言って誰が信用するだろうかというハイレベルな演技に、観客は完全に引き込まれていた。
(…………いる。どこかで見てる……)
 舞台の最中に、美鈴は長坂の存在を感じ取った。観客席のどこかに、彼女はいる。
 長坂が飾れなかった加納の最後の舞台を自分が代わって成功させる。彼女の描いたシナリオが素晴らしいものになるように頑張ると約束した。それを見ていて欲しい。
(……?)
 そんなことを考えていると、突然長坂の気配が消えた。
 それはそのまま舞台が終わるまで続いて、終幕の緞帳が降りても戻ってくることはなかった。
 舞台は大成功を収めた。観客全員から嵐のような拍手を受け、部員たちはハイタッチで喜び合ったが、その輪に美鈴は入らなかった。メイドから朱美鈴に戻るや否や、舞台袖を駆け抜けて観客席に飛び込み、長坂を探した。しかし照明が点けられ明るくなった体育館は観客でごった返している上に、メイド服姿の美鈴に何人かの観客が駆け寄ってきて「握手してください」だの「すごくよかったです」だのと取り囲まれて、思うように動けなくなってしまった。
「ますみん……」
 観客から解放され、体育館が閑散としたころには、もはや長坂の気配の残滓すらもなくなっていた。美鈴はそれでも長坂を探し、空振りに終わったと実感して、ようやくその足を止めた。
「いきなり駆け出して、どうかしたの?」
「あ……東山さん。ますみんがさっきまでいたはずなんですけど……」
「長坂? 病院に行ってるんでしょ。ここにいるわけない。……それより部長が呼んでる」
「そう……ですか」
 東山がいやにはっきりと否定したことが気になったが、訊いたところで答えが返ってくるとは思えず、舞台袖に戻った。
「お呼びですか、加納さん」
「ああ、美鈴さん。片付けが終わったら部室で打ち上げをするんですが、もちろん来てくれますよね」
 先ほどの大拍手に興奮しているのか、顔を紅潮させて強引な物言いで加納は詰め寄った。それどころではないと言いたげな美鈴は、真っ直ぐに王子を見つめられずに少し顔を伏せる。
「私、部外者ですよ。それにますみんが……」
「何を言うんですか。美鈴さんはこの舞台の主役を務めたんです、打ち上げに参加してくれないと困ります。長坂には山城が連絡を入れてくれているので、病院から戻ったら来るでしょう」
「…………」
 この人は長坂の視線に気づかなかったのか……と思ったが、東山の断定もあって、ひょっとしたら自分が勘違いしただけなのかもしれないと思い直し、黙っていることにした。
 体育館から撤収が済み、長坂を除く演劇部員と美鈴が部室に戻ってきたのは、文化祭の閉会宣言が行われた後だった。平石と寺田が食べ物飲み物の買い出しから戻った午後五時頃、屋台や展示物の片付けをする学生たちに先んじて、演劇部では打ち上げが始まっていた。
「舞台の大成功に、乾杯!」
 部長の音頭でグラスを掲げ、全員が唱和すると、一気に空気が抜けたように部室の雰囲気が緩んだ。道化役を演じていた寺田は口が上手く、おどけながら面白い話を次々と繰り出した。それを笑って聞いているうちに、時間は飛ぶように過ぎて行き――気がつくと窓の外は真っ暗になっていた。
「ますみん、来ませんね……」
 誰にともなく美鈴が呟くと、東山は「来ないと思うよ」とあさってを向きながら言った。先ほどの断定といい、あまりにもあっさりと言い切ったその言葉が引っかかり、眉根を寄せる。
「どういうことですか、東山さん」
「部長がバカだから来れないんだよ」
「意味がわかりません」
「……昨日さ、部長が……」
 説明にならない説明に理解を示さない余所者に舌打ちしつつ、昨日の出来事をかいつまんで話した。加納の悪意のない無神経な一言で長坂が傷ついて去って行った、と。その後の自分の放言も包まず全て話し、加納のバカさ加減を強調するのも忘れない。
 美鈴はそれを聞いて、どうしても長坂と話したくなって、居ても立ってもいられなくなった。
「私、ますみんを探してきます」
「あっそ。頑張って」
「はい」
 他人事全開のいい加減な応援を受け、手にした紙コップを置いて部室を出ようと振り返る。場の盛り上がりを壊さないようにそっと廊下に出て――
「美鈴さん、どこへ?」
 加納に見つかり、呼び止められた。
 長坂を探しに、とは言えず、美鈴はとっさに「お花を摘みに」と誤魔化して駆けた。その背に加納の声が飛ぶ。
「打ち上げが終わったら少しお話があるんですが、いいですか?」
「……はい」
 暗い廊下で小さくうなずくと、加納は軽く手を挙げて応え、部室に戻った。
 いったい何の話があるんだろうか、と思いながら、しかし今は長坂を探さなくてはと真っ直ぐに体育館に向かった。
 なぜ体育館なのか、それはわからない。美鈴の直感がそうと囁いた、ただそれだけだった。
 そして――
「ますみん……」
 長坂は、舞台の真ん中に立って、天を仰いでいた。


「メイリン……よくここだってわかったね」
 誰もいない真っ暗な体育館の舞台に咲いたスポットライトの輪。その真っ白な光を全身に浴びながら、長坂はガラガラに枯れた声で言った。美鈴はハッとして舞台に駆け寄る。
「ますみん、しゃべっちゃダメなんじゃ……」
「いいのよ、私のことは。どうせもう、演劇はやめるし声が戻らなくたって」
 長坂は小さく笑って、ふわりと一回転してから舞台の縁に腰掛けた。小さな子供のように両足をぷらぷらと揺らし、じっと美鈴を見つめる。スポットの輪を外れているせいか、あまりよく彼女の表情が見えない。ただ、投げやりな口調で諦めてしまったような雰囲気だけはヒリヒリするほど伝わってくる。美鈴は最悪のケースを思い浮かべてしまい、慌てて頭を振って悪い考えを振り払った。
「……病院で何か言われたんですか? 喉、治らないんですか……?」
 しかし拭いきれない不安が口をついて出てしまった。もし肯定されたらどうしよう、と後悔に似た気持ちが湧き上がってくる。
 そんな美鈴を涼やかに見つめ、長坂は微笑んだ。
「それはない。ちゃんと治るよ、しゃべらなければね。心配してくれてありがとう」
「だったら……」
「黙っていなさいって? うん、確かにそう。メイリンが正しい。でもね……」
 投げやりな気持ちが口調の変化を呼び、かすれた声がさらに潰れ、長すぎる年月を生きた老女のようなひどく聞きづらい声で諦めの言葉を綴る。
「なんていうのかな、いろいろわかって、もういいやって。そう思っちゃって、演劇もどうでもいいやーって。だから、別に声もこのままでいいやって」
「……加納さんから言われたこと、気にしているんですか? それで自棄を起こしているんですか?」
「それ誰から……あー、東山先輩か。あの人ああ見えて、メイリンのこと気に入ってたからね。まあ、部長の言葉はちょっと刺さったけど、体調管理もできなかった私が悪いんだし、言われても仕方ないかなーとは思ってる」
「じゃあどうして演劇をやめるなんて……」
「言ったでしょ、いろいろわかったって。そのおかげで、私はこうして吹っ切れたわけ」
「……?」
 長坂がまるで異国の言葉を話しているようで、美鈴は何一つ彼女の意図を理解できなかった。それがわざとなのか無意識なのか、驚くべき成長速度を見せた長坂の演技力を前にして、それすらも読み取ることができない。演技力では長坂を超えている美鈴ではあるが、他人の演技を完全に見抜く目はまだ開花していなかった。
「ますみんが何を言ってるのかわかりませんけど……加納さんのことはどうするんですか。演劇をやめたら、加納さんが悲しみますよ」
「はっ、何を言うかと思えば……ありえないんだよ、部長が悲しむなんてことは」
「っ……!」
 唐突に投げやりだった長坂の口調が攻撃的に変わり、しゃがれた声が余計に恐ろしさを増して、美鈴は思わず気圧されて一歩下がった。
「部長は私の事なんて見ていない。気にもしていない。ただの役に立たない後輩でしかないんだよ」
「そんなこと……」
「あるよ。部長が見てるのは私じゃない。あんただよ、メイリン」
「え……?」
 泣いているような笑っているような、言葉では言い表せない複雑な表情で長坂はそう言った。美鈴は予想外の一言に戸惑う。
「どういうこと……ですか」
「あの人はメイリンのことが好きだよ。見てりゃわかる。私があの人に向けている目で、あの人はあんたを見てるんだから、わからないはずないじゃない」
「まさかそんな……」
「そう思う? そういえば今、部室で打ち上げやってんでしょ。それが終わったら、多分そういう話をされるはず。部長から話があるって呼び出されてね」
「っ!」
 どこかで見ていたのかと思うほど的確な指摘に、美鈴は思わず表情を引きつらせた。しかしスポットライトの輪を外れた場所にいるおかげで長坂に見られることはなかった。……はずだった。
「……お? その顔はすでに呼び出し食らってる顔だ。手が早いね、あの人も」
 見えないはずの長坂が下品な笑い声を上げて、ぴしゃっと自らの額を叩いた。心底おかしそうに体を曲げて笑い、しまいには咳き込んで苦しさに嗚咽を漏らす始末だった。
「はあ、よかったじゃん、これでメイリンも彼氏持ちだ。おめでとう」
「おめでたくありません!」
 さすがの美鈴もこんな状況でおどける長坂に言わせっぱなしにする気はなくなったらしく、珍しく声を荒げた。
「どうしてそんなことを言えるんですか! ますみんは加納さんのことが好きなんでしょう? なのにどうしてそんなことを笑って言えるんですか!」
「好きだから笑って言うしかないんだよ!」
 美鈴の怒声にかぶせるように、長坂は夜叉と化した形相で悲鳴のような声を上げた。
「好きな人だからわかるんだよ! 彼が誰を見てるのかを! 私じゃないんだよ……私じゃなくてメイリンなんだよ! あんたしか見てないんだよ! だったら笑うしかないじゃない! 笑って、笑い事にして、自分の気持ちを吐き捨てて、なかったことにしなきゃ……辛くて……どうしようも……なくて……」
 涙混じりの声がやがてかすれて潰れ、長坂は体を折り曲げて激しく咳き込んだ。美鈴が慌てて駆け寄り、舞台から転げ落ちそうになる彼女を支えて背中をさすった。長坂が持っていたらしいペットボトルの水が側に転がっていて、それを咳が落ち着いてから少し飲ませると、ふぅう、と長く深いため息をついた。
「ありがとね、メイリン」
「もうしゃべらないでください。これ以上は……」
「……いい子だね、あんたは」
 まるで祖母が孫を褒めるように、さらさらと美鈴の黒髪を撫でる。先ほどの恐ろしい表情ではなく、慈愛のある優しい目をしていた。
「ホント、いい子だよ。メイリンがもっと嫌な奴で、普通の奴だったら、ここまで悩まなかったかもしれないのに」
「……?」
 何の話だろう、と美鈴が首を傾げる。
「部長がさ、メイリンに私の代役をしないかって言ったとき、私はチャンスだと思ったんだよ」
「チャンス?」
「ド素人のメイリンにヒロインが務まるはずがない、やはり私しかいない、って部長に売り込むための好機だと思ったわけ。シナリオはすでに変える用意をしてたしね。メイドは魔法を使える代価に声を失っているって設定にすれば私はヒロインでいられる、ってね」
「…………」
「でも蓋を開けたらビックリした。たった一言しゃべっただけで、あ、メイリンはここにいる誰よりも上手いじゃんってわかった。やっぱり私でなきゃダメでしょ、なんて言う気はどこかにすっ飛んだ。それよりもメイリンなら舞台を任せられる、先輩の最後の舞台を失敗で終わらせないで済むって思った。演劇部でもないのに一生懸命舞台のために頑張ってる姿を見てるから、あんな部外者にヒロインを任せるなんて、とも言えなくなった。本当に後悔したよ、メイリンを舞台に無理矢理上げたこと」
 微笑みながら痛みに耐えている、そんな表情で長坂は美鈴の頬に触れた。その痛みは、喉か、心か――美鈴には計りかねた。
「メイリンが舞台に上がって、先輩の相手役をするようになって……確信した。ああ、先輩はメイリンのことが好きになってるなって。メイリンを苗字じゃなく名前で呼び始めたときにひょっとしてって思ったけど、それは思い違いじゃなかった。しょうがないよね、可愛いし、演技は上手いし、何より……練習を含めて何度も好きです愛していますって『本当に王子を愛しているメイドの表情』で言われてるんだもの。芝居だとわかっててもその境界を見失って本気になるよ。多分、私が王子役をやってても、メイリンに恋したと思う」
「まさかそんな、私もますみんも女の子なんですよ」
「関係ない。メイリンの演技は、そういうレベルのものなんだよ。男も女も関係なく、その仕草と言葉に引き込んでしまう魔性の演技力……魔力を持ってる。さすが魔法使いを演じただけの事はある」
「シナリオには魔法を使うシーンはありませんよ」
「あはは、そりゃそうだ。魔法で王子を虜にしちゃ、オハナシにならない」
 きっぱりと言い切って、長坂は小さく笑った。
 美鈴はまったく自覚のない才能を異常に高く評価されて、嬉しいよりも複雑な気分になった。喉を潰すほどの練習を重ね、加納が驚くほどの成長を見せた長坂を絶望させるような才覚など、今この時点では扱いに困る爆弾のようなものだった。
「…………」
 天然だとか天衣無縫だとか言われる振る舞いの多い美鈴ではあるが、さすがにこの状況では言葉を慎重に選ぼうとしていた。間違った言葉を発してしまえば長坂が壊れてしまう。そんな気がした。
 それが表情に出ていたのか、長坂はやれやれといった風に肩をすくめた。
「いいよ、気遣ってくれなくても。もう決めたんだよ、演劇はやめるって。私が演劇部に入ったのだって、新入生歓迎会で加納先輩の演技を見て、それに一目ぼれしたからなんだよ。そんな先輩の隣に立つに相応しい演技者になろうと思って必死に頑張って、なれたら気持ちを伝えようと決めてた。先輩が誰を見てるかなんて考えもしなかったのは、我ながらバカだよねぇ」
「……ごめんなさい」
「なんで謝るの。メイリンは悪くない。メイリンは私の頼みを聞いてくれて、それで演劇部に来ただけじゃない。私の脱落で台無しになるところだった舞台は、代役を引き受けてくれたおかげで大成功だった。完璧な衣装のおかげもあるし。全部、メイリンがいてくれたからだよ」
 本当にありがとう、と長坂は頭を下げ、嬉しそうに微笑んだ。
 美鈴はそれに対してどういう顔をすればいいかわからなかった。
 長坂が本心なのか演技なのか、その判断がまるでつかない。嫉妬に燃えた彼女、深い絶望に落ちた彼女、吹っ切れたように笑う彼女、美鈴を労わる彼女。そのどれもが迫真であり虚像のような気がして、何を信じていいのかわからなくなっていた。
「……そろそろかな」
 ふぅ……と息を長く吐き、長坂は唐突にそう言った。
「何がです?」
「先輩がシビレを切らしてメイリンを待ってるころかなって。話があるって言われたんだよね?」
「……ええ」
「じゃあ、早く行ったほうがいいよ。きっと……付き合ってくれって言われるから」
「だとしても、私は……」
「メイリン。一つだけ言っておくけど」
 急に表情を硬くして、睨むように目を細めた長坂が美鈴の襟首を掴んでぐいと乱暴に引き寄せた。鼻と鼻が触れ合いそうな至近距離で二人の視線が交錯する。
「私に遠慮して先輩の告白を断ったら、私は一生メイリンを許さないからね。メイリンが先輩のことを何とも思っていなくて断るなら別にいい。実は好きでしたって付き合うのもいい。でも、私を理由に断るのだけは絶対にやめて。それをやったら、本当に許さないから」
「ますみん……」
「わかった? わかったら、さっさと行って」
 握った襟を離し、今度はその胸を突き飛ばす。後ろに倒れそうになった美鈴は体を反転させて踏みとどまり、顔だけを長坂に向けた。うつむいたその顔には――彼女が涸れたと言っていたものが流れていた。
「でもますみん……」
「行ってってば! あんたなんか大嫌いだ! さっさと行けよ! 私の前から消えて!」
「…………」
 しわがれたその絶叫に恐ろしさを感じ、明確な拒否の言葉を浴びせられ、美鈴は長坂に背を向けて駆け出した。スポットライトの白い輪を外れたヒロインの嗚咽をかき消すように、その足音が静かな体育館に大きく響き渡った。


     ・  ・  ・


 カラン、と酒を飲み干したグラスの氷が済んだ音を立て、ただ静かにメイリンの話に耳を傾けていたアレッサは小さく息をついた。
「……で? 結局ブチョーはどうなった?」
「お断りしましたよ。ますみんに遠慮したわけでもなく、加納さんのことは別になんとも思っていなかったので」
「よし、それでこそメイだ」
 ほう、と酒臭いため息をついてメイリンの頭をぐしぐしと撫で回した。
「長坂さんとはその後、どうなりました?」
 すっかり話に聞き入ってしまっていたローナが興味深そうに訊いた。酔いが回っているせいだろうか、いつもの三割増くらいの意地の悪い気配を発していたが、メイリンも酔っているのでそれに気づかなかった。
「体育館で別れてから、一度もますみんとは会ってないんですよ」
「……は?」
 いわゆる三角関係的なものが出来上がっていることから起こりうるドロドロな感じを期待しなくもなかったローナだが、そのあっけらかんとした返答には思わずキョトンとした。
「会っていない? 同じクラスなのに?」
「はい。翌日からますみんが学校に来なくなって、そのうち転校したって担任から聞かされました。喉の具合が悪化して、転地療養とかで引っ越したそうです。それっきり」
「それっきり? 連絡もなしですか?」
「文化祭から三日後くらいに一通手紙が来ただけです。そこには『メイリンは演劇を続けるべきだと思うよ。でなきゃもったいない』ってだけ書かれてました」
「だからメイは演劇部に入ったのか?」
「ええ、まあ。実のところ、衣装作りのために着る人になりきるのって結構難しいんですけど、演劇をやればそれがもっと上手くできるようになるかなって。そう思ったのも一つです」
「おいおい……その天才的な演技力は衣装作りの副産物だってのか……」
 ごくり、とアレッサがとんでもないものを見たような顔で息を呑んだ。それは今日散々飲み散らかしてきたどんな酒よりもズシンと彼女の腑に重く落ちてきた。
「それにしても、加納さんの告白を断って、長坂さんが去った演劇部に入ろうなんてよく決断しましたね。気まずいとか思わなかったんですか?」
 目論見を外されて面白くなかったローナが意地の悪い質問を投げかけた。しかしメイリンはケロッとした顔でふるふると首を横に振る。
「別に……。加納さんは引退して部にいませんでしたし、ますみんは、まあ、気にしなかったと言えば嘘になりますけど、私自身の目標があったのでそこは我を通しました」
「目標? デザイナーですか?」
「はい。思っていたのとはちょっと違いますけど、今はそのルートに乗ってる感じです」
「あー……工房で服作って売ってるもんなー……」
 ずずず、と緑茶をすするようにウオッカを飲み、アレッサはため息をついた。
「すごいよナ、メイが立ち上げた『ミスズ』ブランドの衣装っつーと、今や一部業界ではトップブランドだもんナ。注文はひっきりなしで、工房の基本給よりもインセンティブのほうが数倍高いっつーから……なあ、メイ」
「はい?」
「あたしと結婚してくれないか」
「嫌です」
「はっはっは。即答かよ……」
 大笑いしながらウオッカを一気に飲み下し、ぐすぐすと泣き始めるアレッサ。どうやら悪い酒になっているらしい。
「まーいいや、いつか振り向いてくれると信じてる。今は加納とかいう野郎にメイが取られなかっただけマシと思う事にするわ」
「……? 加納さんならもう結婚してますよ?」
「……は?」
 メイリンの唐突な一言に思わずアレッサの間抜けな声が漏れた。
「何でそんなこと知ってんだ? 今も加納と連絡とってんの?」
「いいえ」
「じゃあ……」
「なるほど、アレッサさんは知らないんですね」
「訳知り顔で何だよ、ローナ? 何を知らないって?」
 メイリンではなくローナの意味深な言葉に不機嫌さを隠そうともせず聞き返す。
「この間興行収入の日本記録を塗り替えた映画の、主人公の親友役をやっていた菅野ユウスケって、加納さんなんですよ」
「…………。うっそ。あのイケメン俳優が? いやまあ、さっきの話じゃ演技が上手かったつーから俳優になっててもおかしくはないんだが。そういや、確か二年前くらいに結婚したってニュースを見た気がする。確か相手は女優だったと思うんだけど」
「ええ。その相手がますみんです」
 間髪いれずメイリンが補足を入れる。アレッサは酔った脳ミソに大量の情報を送り込まれて軽い混乱状態に陥った。
「え、なに、ますみんってあの女優の酒間スミなの? ちょっと待ってよ」
「グッバイ優しい声で」
「卑怯なー逃げかーたー。いや、大黒なんとかさんの歌はともかく」
 唐突な酔いどれクローディアのギャグに律儀にノリツッコミを入れてから考えを整理する。
「ますみんって演劇やめたんじゃなかったの?」
「転地療養先に加納さんが訪ねてきて、一緒に演劇やろうぜと口説かれて、高校を中退して芸能界入りしたんですよ。結婚会見のときにそう言ってました」
「……ぇえ……加納って図太い野郎なんだナ……。メイに告白しといてフラれたらすぐにますみんトコに行ったってことだろ?」
「そういうことになりますかね。東山さんの話だと、ますみんが加納さんに気があることを加納さん当人は知っていたみたいですし」
 コップになみなみと注がれた日本酒をきゅーっと飲み干し、メイリンはむふぅ、と息を吐いた。アレッサは眉間に深いシワを刻んで、追加注文したラムを一息に飲み下す。そしてがつん、とテーブルに叩き付けるようにグラスを置いた。
「なんなんだ、これ。ますみんが加納とくっつくためにメイが協力して、結果メイとますみんがケンカ別れして、その原因を作った野郎がますみんと結婚してるって……これじゃあメイは道化ですらないただの可愛そうな子じゃないか」
「だから最初に言ったじゃないですか。面白い話じゃないですよ、って」
「……あー、その、なんだ。すまんかった。無理に話させて」
「気にしないでください。そのおかげで一つ、まだ解決していない疑問があったのを思い出しました」
「ほう? あたしらでよかったら言ってみな。何か答えられるかもしれないぞ」
 ぐっと体を乗り出し、アレッサはローナとクローディアの顔を見てから言った。
「ますみんが持ってきたシナリオの原作を書いた『久遠寺彩深』って人なんですけど、なんとなく聞き覚えがあって……でも思い出せなくて」
 うむむ、とうつむいて考え込むメイリン。同じようにアレッサも思考に入り――
「ん? さっき話の中で『知らない人』って言ってなかったか?」
「ええ。当時知らなかったのは確かなんですけど、話していてちょっと引っかかって……」
「つーことは、それより後に見聞きしてるかもしれないってこったナ。残念ながらあたしにゃ心当たりはない。ディア……は酔ってるからダメか、ローナはどうだ?」
「さて。わかりませんね」
 と満面の笑みで即答するローナ。間違いなく『久遠寺彩深』の正体を知っている顔だが、答える気はないらしい。仕方なしにアレッサは視線を反対側の端に向け、上司を呼んだ。
「メイド長ー」
「はい?」
 チョコプレッツェルを一本つまんだ体勢のまま振り向き、ヴィアーチェは首を傾げた。酔いが回っているらしい透けるような白い頬がほのかに桜色に染まっていて、その肌を滑るように銀色の髪がさらさらと流れ落ちる。普段はまず見られない艶めいたその姿に、アレッサの百合センサーが反応――せず沈黙したまま普通に質問をぶつけた。売約済みには反応しない仕様らしい。
「メイド長は『久遠寺彩深』って名前に心当たりはないスか? 作家らしいんスけど」
「主さんの昔のペンネームです。ご存知ありませんでしたか」
「あ! そっか、書庫で見たんだ!」
 ヴィアーチェの一言で思い出したか、メイリンがぽんと手を打って声を上げた。
「書庫の掃除をしているときに見ていたんだ……そっか、主さんだったんだ……」
「先ほどのメイリンさんのお話に出てきた作品は、主さんが高校生の時に書いた小説を数年後にリメイクして自家製本したものです。文章も拙いし妄想爆発しすぎの黒歴史だから処分しようと主さんはおっしゃいましたが、どんな作品でも主さんの大切な足跡ですとお願いして残していただきましたから、まだ工房の書庫の鍵付き戸棚にありますよ。読むには主さんからその鍵をお借りしなければなりませんが、ヘアピン二本ですぐ開きます」
 少し誇らしげにとんでもないことを言って、ヴィアーチェはふふと笑う。酔いが回って自制が緩くなっているようだ。
「なんつー偶然。そして迷惑な話だ。メイたちにひと騒動を起こさせた作品がマスターのものだったなんて」
 はぅ、と呆れまじりのため息をついて、アレッサはやれやれと頭を振った。そうですね、とメイリンも同意する。
「それにしても不思議な縁ですね。主さんのことを、あの本屋さんの駐車場で出会う前から知っていたなんて」
「あたしらはそうして会うべくして会ったってことさ。大嫌いな言葉だが、それが『運命』ってヤツだ」
「そうかもしれませんね」
「そうさ。だからメイ、運命だと思ってあたしと結婚しなさい」
 イイ話をしながらどさくさに紛れて己が欲望を爆発させるアレッサ。
 メイリンはニコリと微笑んで、すぅ……と纏う雰囲気を変えた。
「運命とは従うためにあるものなのか? 違う、俺はそうは思わん。運命とは抗ってこそ意味を持つもの。俺はお前の言う運命に全身全霊をもって逆らってやる」
 そう高らかに言ったのは、先ほどまでのぽわぽわしたメイリンではなく、鋭い視線と気配、高貴なオーラを持つ何者かだった。それが演技だと気づくまで数秒を要したアレッサも思わず息を呑む。
「……メイ……?」
「例のシナリオの王子のセリフですね。私と王子は結ばれてはいけない運命なのです、とメイドに交際を断られたときのシーン」
 とローナ。アレッサはキョトンとしつつも、メイリンの演技の意味を酔いの回った脳ミソで考えた。
「えーっと……つまり『嫌だ』ってことでオーライ?」
「オーライ」
 びっ、と親指を立ててうなずくローナに、アレッサの蒼い目からぶわわっと涙がほとばしる。
「大将ッ! 酒! 飲まずにはいられないッ!」
 メイリンの言いたいことを理解し、アレッサは出されたコップ酒を一気に飲み干して――しばらく泣いた。


「それはそうと、メイには好きな人ってのはいないのか?」
「そうですね……いなくは、ないです」
「そいつはあたしじゃないんだよナ?」
「ですね。男の人ですよ」
「……アンタを本気で愛するがゆえに言うが、そいつはやめとけ。いくらメイでも勝てねェぞ。相手が悪い」
「そうでしょうか?」
「メイ、お前……」


 そう言って、メイリンは内心の読めない笑顔でコップの酒を呷った。




           完


 
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