2017/09/03

工房小説 『思い込んだら百里の道を』 前編

 メイリンって真面目な恋愛モノのキャラじゃないから、どう足掻いてもコメディにしかならないのが困り物。
 天然キャラに恋させるのって難しいよね(言い訳

メイリン 「私だって真面目に恋くらいしますよぅ」

 あっ、やめてそういうこと言うと怒り狂ったトリガーハッピーがやってk…
 ;y=ー    ( ゚д゚)・∵. ターン



 この作品はフィクションです。
 登場する団体・人物等は現実のものと一切関係ありません。


 


 ふわり、とそよ風が優しく頬を撫で、それに乗った甘い香りが鼻腔をくすぐった。古ぼけた風に見えるように加工された木製のベンチに浅く腰掛けて、商店の名前らしきものが書かれた背もたれに思い切り上半身を預け、男は生気の抜けた表情でぼんやりと空を見上げていた。綿飴のようなふわふわで甘そうな真ん丸の雲が、ややくすんだ青の中をゆるゆると流れて行く。
 はぁ、と男の口からため息が漏れた。あるいは心の奥底から漏れたものかもしれない。
 静かで穏やかな田舎にある小さな商店の軒下。昭和の気配を色濃く残した建物で、屋根や壁のトタン板はペンキが剥がれてさび放題になっている。しかしそれは『雰囲気』を出すためにわざと放置しているのが男にはわかっていた。ノスタルジックな様相を演出し、客寄せに利用しているのだ。もっとも、それはお世辞にも贔屓目に見ても成功していない。店は国道沿いで少しは車の行き来もありながら、客は男とその連れだけという状況がそれを物語っている。
 周囲は山に囲まれ、近くからは水の流れるせせらぎの音、遠くからは牛の鳴き声らしきものが聞こえてくる。男が普段生活しているところも電車の線路すら通っていない田舎ではあるが、ここはそれ以上と言ってもいいだろう。少なくとも地元は見渡す限り人家もなく人っ子一人居ないというほどの田舎ではないからだ。
「食べないんですか? 溶けちゃいますよ」
 と、男の連れが言った。ああ、と生返事してから、男は自分が手にソフトクリームを持っていたことを思い出した。少しばかり溶けて形が崩れてしまったそれをもくもくサクサクと食べてしまい、ほう、とまたため息をついた。ただ先ほどの無気力なものとは違い、今回は感嘆のものだ。
「……美味しいな、これ」
「でしょう? おかわりします?」
「いや、もう十分だから。そっちはまだ食べたかったら買ってきていいよ」
「いいんですか? じゃあ遠慮なく」
 男の言葉に嬉しそうに返事をして、連れはエプロンドレスを翻して商店の入口へ駆けて行った。薄紫のドレスに真っ白なフリルつきエプロンを身に纏い、長く艶やかな黒髪には白いフリルカチューシャが乗っている。大きめの淡いピンクのリボンタイが軽やかに風をはらんで、ふわりと彼女の慎ましやかな胸の上で踊っていた。
「今度はヨーグルト風味にしてみました」
 しばらくして満面の笑みで店を出てきた彼女はそう言って、手にしたソフトクリームの先端を桜色をした小さな唇で掬い取った。楕円形のメガネの奥に黒く丸い瞳がキラキラと輝き、恍惚とした表情の後に頬がとろりんと緩む。
「これは意外な発見でしたね、主さん」
「そうだね。言っちゃ悪いけど、こんな田舎の小さな店でこの味は奇跡としか言いようがない。突然車を止めろと言われて驚いたけど、メイリンの嗅覚はすごいね」
「えへへ……」
 男――工房主に褒められて、メイリンは嬉しそうに照れ笑いした。工房主の隣にちょこんと腰掛けて手にしたソフトクリームをじっくり味わうように食べ、メイド服のポケットからハンカチを取り出して口を拭き、ごちそうさまでしたと満足げに呟く。
 そして工房主と同じように空を見上げ、押し黙ったまま流れて行く雲をいくつも見送った。
「……今頃、工房はどうなってるんでしょうね」
 ぽつり、とメイリンが独り言のように呟いた。先ほどからそれを考えないようにしていた工房主はしばらく黙っていたが、
「わからない。でも、アレッサがマジギレしてるのは想像がつく」
 とだけ答えた。帰ったら問答無用でヘッドショットをお見舞いされるんだろうなぁ、と工房主は陰鬱なため息を漏らした。あのド短気百合魔人なトリガーハッピーのアレッサがメイリンを無断で(彼女の許可を取る必要などどこにもないのだが)こんな遠くまで連れて来た工房主を捨て置くはずもないのは明白で、顔を合わせれば必ず報復があると思うと、メイリンのような美少女と二人きりで旅しているにもかかわらずひたすら気が重くなる。
「……やめだ。考えるのはよそう……」
 体がだるく頭が回らない。冷たいソフトクリームを食べて少しはシャッキリしたと思ったが、それは一時的なものだったらしい。
「主さん? 眠いんですか?」
「いや、別に……」
 大丈夫、と言おうとした瞬間に意識が一瞬落ちかけた。メイリンの「眠い」という言葉を聞いて自分の状態を把握してしまったがゆえに、堰が切れてしまった感じだった。
「いいですよ、ここで眠ってしまっても。私の膝を枕にお使いください」
「それは……さすがに……。寝るなら、車に戻って、そこで……寝る……」
「私は大丈夫ですから」
 言って、メイリンは工房主の頭を引き寄せ、自分の膝に乗せた。
「何時間だって、こうしています」
「……そういうわけには……」
 いかない、という言葉は睡魔に飲み込まれ、工房主の意識はメイリンの柔らかい腿の感触と甘い匂いの前に驚くほどあっさりと落ちた。
「おやすみなさい、主さん」
 工房主のメガネを外し、手入れの行き届いていない伸びっぱなしの髪をいとおしそうに撫で、メイリンは小さく微笑んだ。


     ・   ・   ・


 ヴィアーチェが異変に気づいたのは、出勤してきていつものように工房主を起こそうと寝室のドアに手をかけたときだった。普段はきちんと閉まっているはずのドアが少し開いていて、その隙間から光が漏れていた。死ぬるほど疲れ切っているか極度の睡眠不足状態でない限りは部屋が静かで暗くないと眠れない体質の工房主が、うっかり明かりを消し忘れるなどということはあり得ない。
「……主さんがいない……?」
 そう推測して念のためもう一度ノックしたが返事はなく、声を掛けつつドアを開けて部屋を覗きこむが、ベッドに工房主の姿はなかった。明かりを消し、遮光カーテンを開けて薄曇の空から降る弱々しい陽光を取り込み、改めてベッドに目をやる。そこでヴィアーチェは表情を変えた。
 慌てて部屋を飛び出して二階から一階に駆け下り、玄関を出て車庫の扉を開けた。そこには工房主の古い軽自動車が置かれて――いなかった。
「あれ? 何してんスか、メイド長?」
 出勤時刻になってバイクでやってきたアレッサが、ガレージの前で立ち尽くす上司を見つけて声を掛けた。ヴィアーチェはゆっくりと振り向き、
「主さんがいらっしゃらないんです」
 と少し震える声で返した。アレッサはそのただならぬ様子を不審に思い、バイクのエンジンを止めてヘルメットを脱ぎ、ガレージを覗き込んだ。確かに、工房主があちこち手を入れて大事に乗っている白い軽自動車がなくなっている。
「低血圧で朝に超絶弱いマスターが早朝から出掛けるっつーのは、確かに異常ですね。事前にメイド長に知らせてないってのもイレギュラーだ。けど、そんなに深刻になることでもなくないですか? 実家に帰ってるだけとか」
「だとしても、昨晩から工房を空けているというのはどういうことなんでしょう?」
「昨晩?」
 アレッサは額に貼り付いた金髪を掻き揚げてから首を傾げ、ヴィアーチェの続く言葉を待った。
「今朝、主さんの寝室のドアが少し開いていて、そこから部屋の明かりが漏れていたんです。それにベッドに寝た形跡がなくて……」
「なるほど、明かりが必要だけれどまだ寝る時間ではないとき――つまり昨晩出掛けたと、メイド長は推理するわけですね」
 とまとめたのは、今しがた出勤してきたローナだった。薄手の白いパーカーに白いベレー帽をかぶり、赤系のチェックスカートを身につけている。勤務中は三つ編みにしている長い髪は首の後ろで簡単にまとめられて緩やかな波を打って背中に流れているが、顔を覆いつくすほど伸ばした前髪はいつも通り彼女の表情を隠していた。
「それが真実だと思います」
「なんでだよ、ローナ?」
「足元を見ればわかりますよ」
「あん?」
 言われてアレッサは自分の足元を見た。昔から愛用している軍用ブーツをはいた自分の足と、車の出入りで芝が削れてむき出しになった地面が視界に広がっている。特に変わったところはない……と言いかけて、芝がしっとりと濡れて水滴を含んでいることに気づいた。
「雨、か。ここ一週間ほど降ってなかったから昨日は地面がカラカラに乾いてたな」
「ご名答。深夜……というより夜明け前くらいに雨が降ったはずですが、濡れた土にタイヤ痕がありません。車は雨が降る前に出て行ったということです」
「だとして、だ。どこへ行った?」
「それはわかりません。主さんに聞いてみませんと」
「だよなァ。つーか、マスターに電話すりゃいいんじゃないですかね? メイド長」
 自分の質問がバカみたいに無駄だったと自嘲し、アレッサはそれを取り返すべく妥当な提案をした。しかしヴィアーチェは首を振って否定する。
「無駄です。主さんの携帯電話は寝室に置きっぱなしでした」
 その言葉に、でしょうね、とローナは呟いた。
 電話すればいい――その程度のことは、工房の中で頭が良くない部類に入るアレッサ(他が突出しすぎて相対的に悪く見えるだけで、アレッサの知恵知能は偏りはあるものの平均を大きく上回る)でも思いつくことで、工房上位の頭脳を持つヴィアーチェが気づかないはずがない。
 リカバリーを狙ってさらに頭の悪そうな質問をしてしまったアレッサは、それを誤魔化すように陽気に笑った。
「ま、心配しなくてもそのうち連絡が来るんじゃないスかね。マスターだってガキじゃないんだから、メイド長が心配してることくらいわかってるだろうし。少ない手掛かりであーだこーだと言い合ってても仕方ないですって」
「……そうですね」
 アレッサのお気楽な物言いに自分で思っている以上に動揺していると気づき、ヴィアーチェは一旦落ち着こうと数度深呼吸をした。
「おっしゃるとおり、今は連絡を待つしかありませんものね」
「そうそう。メイが入れてくれるココアでも飲んで落ち着きましょうや」
 言ってアレッサは踵を返し、工房の玄関を開けた。


「ってメイが行方不明だとぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
 始業時間が過ぎて朝礼を終えてもメイリンが出勤してこないことを不審に思い、メイリンの携帯電話をコールするも電源が入っていないため繋がらず、実家に連絡したところ「昨日の夜に家を出て工房に向かった」とメイリンの母親から聞かされた。しかし現実にはメイリンは工房にはおらず、その姿はどこにもない。心当たりに連絡を取って回ったが、全てが空振りに終わった。そこで出た結論が「メイリンが行方不明である」ということだった。ついでに工房主の行きそうなところも当たってみたが、こちらも収穫なしだった。
「ど、ど、ど、どうなってんだ? メイはドコ行ったんだ? 夜遊びなんてとーさんは許してないぞッ! お仕置きにおっぱいもみもみの刑に処してやるんだしッ! ってゆーか、誘拐とかだったらどうするんだよ! 身代金の要求電話とかっ! いやでもメイは神様に溺愛されてるラックの持ち主だもんナ! へーきだよナ! そうだろ、そうだと言ってよバーニィ!」
「落ち着いてください、アレッサさん」
「これが落ち着いてられるかローナ! メイが大変なことになってんだゾ!」
 愛するメイリンの一大事となっては平静でいられないのか、いつもはクールな姐御がすっかり取り乱しておろおろと意味不明なことをわめいていた。
「落ち着けアレッサ」
 ごっす。
「くぎゅぅ」
 ハレンチな言動を繰り返すアレッサを見かね、クローディアはいつも通りの無表情無感情のままに剣を抜いて峰打ちを金髪の頭頂部に落とした。
「……ん?」
 奇妙な悲鳴を上げて床を朱に染めながらのたうち回るアレッサを見下ろし、愛用の両刃の長剣を鞘に戻して、元傭兵で鍛え上げられた肉体を持つタフなアレッサが本気で痛がっていることに気づいたクローディアはすまなそうに頭を下げた。
「すまん、峰打ちだったが力が入りすぎたかもしれん。大丈夫か?」
「ああああああアホか貴様! 両刃の剣で峰打ちってそりゃアタマも切れるわ!」
「そうか、すまん。そこまでマジギレされるとは思わなかった」
「ちっがーう! あたしのアタマが物理的に切れてんだっつーの! 文字通り出血大サービスだよッ!」
 ボケなのか真面目なのか、その無表情からはわかりづらい謝罪にツッコミを入れて、アレッサは出血で一瞬遠のいた意識をすんでのところで繋ぎとめた。収穫前の稲穂のような金髪は噴き出した鮮血に染まり、顔は白い肌と流れる赤でおめでたい感じの模様になって、メイド服の襟とエプロンドレスも侵食を受けたせいで、どこから見ても下手なホラーよりも愉快でスプラッタな怖いねーちゃんの一丁上がりだった。その証拠にヴィアーチェが表情を引きつらせてドン引きしていた。
「そんなにエキサイトすると頭に血が上って赤い噴水になりますよ、アレッサさん」
「もう遅ェよローナ。ったく、お前らは……」
 やれやれと首を振って、どこからか取り出したメディックポーチでテキパキと自分の頭の出血を止め、余ったガーゼでごしごしと顔と頭の血を拭った。そしてドイツ語らしき文章が書かれたアルミパックを破いて中の固形物をもしゃもしゃと食べ始める。
「すんません、メイド長。床を血だらけにしてしまって。ちゃんと掃除しときますんで勘弁してください」
「い、いえ、それは別に構いませんが……病院に行かなくていいんですか?」
「大丈夫です。このくらいケガのうちに入りませんし、頭の出血はたいしたことなくても派手に見えるもんなんですよ。それにこの造血効果のあるクッキーを食べてりゃ失った血液もすぐに戻せますんで。効果は身をもって証明済みですのでご安心を」
「そ、そうですか……」
 いやいやいや、どう見ても重傷なんですけど。と思いつつも、ヴィアーチェはアレッサや他の二人があまりにも平然としているので、自分が心配しすぎなのだろうというところで落ち着いた。
 無論、ヴィアーチェの反応が普通で、他が異常なのは言うまでもないが、この工房では『普通』が『異常』になることもある。
「んで。メイが昨晩工房に行くと言って家を出たっつーことなんだが。これはマスターの失踪と関係あると思うか、ローナ?」
 急に真面目な顔で言って、アレッサは工房の頭脳労働担当メイドに意見を求めた。ローナは少し考えて、
「そうですね。無関係ではないでしょう」
「なら、メイはマスターと一緒に車で出掛けたってことになるよナ」
「それも、かなり慌てていたと思います」
「なんで? ……って、ああ、明かりの消し忘れと電話の持ち忘れか。つーことは、急かしたのはメイのほうか」
「だと思います」
「メイはそんなに急いで、しかもマスターをつれて、どこへ行った?」
「メイリンさんの行動は予測不能です。最もメイリンさんに近しいアレッサさんにわからないなら、私にわかるはずがありません」
 その問いにはさすがのローナも答えることはできなかった。人並み外れた知識と知恵を持つローナではあるが、もちろんそれにも限界はある。彼女は全知全能の『天才』ではなく、無限に近い有限の知能を持つ『秀才』なのだ。
「むしろ、アレッサさんに心当たりはありませんかと問い返させてください。この頃メイリンさんの様子がおかしかったとか」
「いや、特には……」
「あるだろう。ここ数日、メイリンの様子がおかしかったが」
 とクローディア。ローナとアレッサの目が無表情剣士に集まる。
「そうか? あたしにはわからなかったんだけど」
「それはお前がわざと見ないようにしていただけだ。ここしばらく、主殿を見るメイリンの目が違っていたように私には感じられた。あれは恐らく――」
「言うんじゃねェよ、ディア。言うな」
「恋する者の目だ」
「…………っ」
 瞬間、ヴィアーチェの表情が変わった。ルビーのような紅い瞳を見開き、何かを言いかけて止まってしまった口をきゅっと結んで顔を伏せる。
 ついこの間メイリンから宣戦布告を受けた(その宣言はローナの策謀による芝居ではあったが)ことを思い出したのだろうか、小さく肩が震えていた。メイリンが芝居ではなく本気で工房主を奪いにかかれば、自分は全く歯が立たないだろうと思い知らされたことがよみがえり、不安で顔を上げられなくなっていた。
「言うなっつったろーが。この野郎」
 アレッサはアレッサで、その一言で上司が傷つくとわかって止めようとした――わけではなく、メイリンが異性に興味を持ってしまった事実を認めたくなくて、クローディアを制止しただけである。しかしそれは叶わなかった。
「ということは、これは駆け落ちということになるんでしょうか。それとも愛の逃避行でしょうか」
 言ってローナは意地の悪い笑みを浮かべた。こんなカオスでドロドロで面白い状況を楽しまないでいられない彼女らしい、実に『工房の魔王』の二つ名に相応しい発言だった。
 そんなローナを鋭く睨めつけて、アレッサが非難の声を上げる――より早く。
「ありえません」
 ミルクティー色の長い前髪に隠れた魔王のニヤニヤ笑いを消し去ってしまいそうな勢いで否定し、ヴィアーチェはキッとローナを見据えた。
「主さんがメイリンさんに気持ちを移すなんて、ありえません」
「それは正妻の余裕ですか?」
「違います。私は主さんを信じているだけ。メイリンさんが主さんのことを好きになっていたとしても、それに転ぶような人ではありません。私の知る主さんはそういう人です」
「この前メイリンさんに宣戦布告されて、圧倒的な力を見せつけられて、それでも浮気はないと? 一片の迷いも疑いもなく言い切れますか? それは主さんを信じているのではなく、メイド長の願望の押し付けに過ぎないのでは? 気持ちが移らないで欲しいというあなたのワガママではないのですか?」
 揚げ足取りでしかない言い回しでさらに追い込みをかけるローナ。しかしヴィアーチェは平然と、
「そうです。人を信じるというのは、自身の願望をその人に押し付けることと同義です。それはあなたのおっしゃるとおりただの私のワガママですが、そう思うのはいけないことでしょうか?」
 真っ向から魔王の意見を肯定した。
「…………いいえ」
 ローナは言い返そうといくつか言葉を用意したが、上司の紅い瞳に揺らぎが見られずそれを飲み込んだ。なるべくネチネチと責めてはみたが、さすがに魔王のやり口を知り尽くしているヴィアーチェには通用しなかったようだ。
 以前のヴィアーチェであれば、工房主との関係に触れる口撃を受ければ慌てて否定してしどろもどろになって大層可愛らしい姿を見せたものだが、この頃はある程度耐性も自覚もついてきて安定を見せていた。加えて今は非常事態であり、いつも以上に冷静沈着な態度をとっている工房メイド長に生半可なゆさぶりなど通用しようはずがなかった。
 もっとも、ローナ自身も工房主がメイリンに気持ちを移したなどと微塵も思っていないのだから、ヴィアーチェをからかう武器としては脆弱もいいところだった。少しでも面白くなるかな、という程度の軽い思いつきでやったことで、失敗しても特に興醒めも落胆もない。ただ攻撃目標を切り替えるだけである。
「もうよせローナ。メイド長をからかっても意味はない」
「いやいや、メイド長をからかう材料をローナに与えたのお前じゃねェか。他人事みたいに言うなよディア」
「ふむ、そうだったな。すまない」
「…………」
 クローディアが頭を下げると、ローナは小さくため息をついた。ヴィアーチェがダメならアレッサでもからかってやるかと思った矢先に話の流れをぶった切られてしまい、仕掛けるタイミングを逸してしまったのだ。クローディアがただのボケに見えて凄まじいまでの切れ味で流れを切ってしまったのは、熟練の剣士ゆえの行動と言えるだろう。
 空気が読めていないように装いつつ、適切な呼吸と間合いをもって強烈な個性の塊である工房メイドたちにしっかりブレーキをかけるのがクローディアという人間である。『工房のお母さん』の異名は伊達ではない。……本人はその異名が気に入らないらしいが。
「すみませんでした、メイド長」
「いえ、いいんですよローナさん。それよりメイリンさんの居場所です」
「まァ、メイがマスターをどう思っているかはさておくとして、メイド長の言うとおり居所を突き止めなきゃ話になんねェ。何か手掛かりは?」
 不穏な空気がローナの謝罪を機に収まったと察し、アレッサは話を戻して各人を見回した。ふむ、とうなずいてクローディアがポケットに手を入れ、紙片を取り出す。
「少なくとも、先ほどアレッサが言った誘拐の線はないだろう」
「根拠は?」
「これだ」
 と名刺サイズの一枚の紙をヴィアーチェに渡した。アレッサとローナがそれを覗き込む。
「今朝、私のロッカーの扉に挟まっていたものだ。筆跡はメイリンのものだと思う」
「確かにメイの字だな。『主さんとお泊りの旅に出ます。探さないでください』……? なんじゃこりゃ?」
「ほら、やっぱり駆け落ちじゃないですか」
「えっ、いえ、その、うーん……」
 これ以上ないというほどのドヤ顔のローナに、ヴィアーチェは困ったように眉を八の字にゆがめ、言葉に詰まった。工房主の真意はともかく、メイリンは明確な意思を持って工房主とともに工房を出たという証拠が出てしまったのだ。この手紙が意味するところは、メイリンは本気で工房主を狙っているということに他ならない。……これがシャレ(もしくはお約束)で書かれたものでなければ、の話だが。
「だーかーらー。駆け落ちかどうかはどーでもいいっつってんだろローナ。余計な話を蒸し返すんじゃねェよ。ドコへ行ったかの話をしなきゃなんねェんだよ、あたしらは。そうだろ?」
 アレッサの仕切りなおしに、残る三人は難しい表情で沈黙した。


     ・   ・   ・


 ざわ、と一際大きい葉擦れの音で目を覚ました工房主は、ゆっくりと上体を起こした。周囲を見回し、景色がぼやけて見えるのはメガネがないからだと気づいてそれを探す。
「お目覚めですか。どうです、お加減は?」
 工房主のメガネを差し出し、メイリンは言った。それを受け取り装着して、凝り固まった背筋をぐいっと伸ばしながら「あまり良くない」と返す工房主。黒髪メガネの工房メイドは寂しそうに困った笑顔を浮かべ、
「すみません、もう少しだけでも私の膝の寝心地が良ければ快適にお休みいただけたのですけれど……」
 と謝った。工房主は慌てて首を振る。
「いや、そうじゃなくて。メイリンの枕が最高だったからベンチの硬さが際立って悪く感じただけだから。ごめんね、長い時間膝を借りてしまって。……どのくらい寝てた?」
「四時間くらいでしょうか。時計がありませんからよくわかりませんけれど」
 時計を見ようと取り出したスマホの画面は真っ暗で、道中で充電が切れてしまっていたことを思い出す。一時間に一本だけというバスが前の道を四回通過するのを見たからそのくらいだろう、というアバウトな感じだった。現状、何分何秒というシビアさは求められていないので問題はなかった。
「そんなに? ほんとにごめん。足が痛かったよね」
「いえ、大丈夫です。私のワガママで夜通し車を運転していただいたんですもの、このくらいはなんてことありません」
「でも、メイリンも眠いだろうし疲れているんじゃ?」
「私は車内で……主さんの横でぐーすか眠ってましたから。それに美味しいソフトクリームをいっぱい食べましたし、へっちゃらです」
 そう言って笑い、メイリンはおどけて見せた。
 工房のマスコットでありムードメーカーであるメイリンの元気な姿を見ていると、周囲も元気になるから不思議なものである。工房主の体の痛みも眠気も綺麗さっぱり吹き飛んだ気がした。
「そっか。それじゃあ……行こうか」
「はい。私たちの目的地はまだまだ先ですものね」
 お互いに微笑み合って二人は車に乗り、遠い道のりを辿り始めた。
 見渡す限りの緑、という表現は使い古されて手垢に塗れた感があるが、実際にその光景を見ると中々に趣があるものだと工房主は思った。真っ直ぐに伸びた道路の左右には丘陵と牧草地帯が広がっていて、遠くには放牧された牛らしきものがちらほらと見えている。自分の地元にも自然は多いが、山地の麓という場所ではほとんど『平面の緑』というものがない。ゆえに同じ緑の景色でも開放感が段違いだった。
「いい景色だなぁ……」
「そうですね。普段目にする風景とは全然違った感じで、新鮮です」
 車窓から物珍しそうに牛を眺めながら、メイリンは小さく笑った。
「今度、ヴィアーチェたちも連れて来たいね」
「ダメですよ、主さん。今はメイド長のことは考えないでください」
 笑顔のままでそう言って、メイリンは振り向いた。なぜそんなことを、と不思議に思う工房主。
「……どうして?」
「だって……主さんはいつもいつもメイド長のことばかり考えてるんですもの。目の前のことを忘れるくらいに。今は、それは……嫌です」
「……?」
 ふ、と顔を伏せるメイリン。何を言っているのかわからない工房主は、ただ首を傾げるしかなかった。
 それからしばらく、二人は無言のままで車内に流れる音楽を聞きながら流れる景色を見ていた。一本道が二本になり、三本になり、交差点が増えてきた頃には人家も増えて、町に近づいていることを意識させる風景へと変わり始めた。
「メイリン、この先の道は?」
「…………」
「メイリン?」
 声をかけても返事をしない連れを不審に思い、ちらりとそちらに目をやると、手元の地図には目もくれずぼんやりと窓の外を見つめているメイリンの物憂げな顔があった。
 工房周辺しか移動しない工房主の車にはカーナビは搭載されておらず、初めて訪れる土地での頼りは道路の案内看板と道路地図を手にした同乗者だけである。しかし、そのメイリンがこうも沈黙してしまってはドライバーは行き先を見失って迷ってしまう。指示もないままにただ道を真っ直ぐ進むうちに、自分たちがどこへ向かっているのかすらわからなくなりそうになって、たまらず工房主は車を止めた。
「どうしたの、メイリン。さっきから黙ったままで。道の指示を出してくれないと迷子になるよ。というかすでに迷子だよ」
「すみません。お昼に何を食べようかをずっと考えていて、ナビを忘れていました」
 工房主の抗議に、無表情で窓の外を見ながら平坦で事務的な口調で答えた。その様子に「おや?」と思いはすれど、食いしん坊なメイリンならおなかが空いて不機嫌になっても仕方ないと工房主は思った。
「ああ、そういえばもうお昼か。じゃあ食べ物屋を探そう。適当に流すから気になる店があったら言って。店選びはメイリンの勘に任せる」
「……そうですか。わかりました」
 ふう、とため息をついて、メイリンはゆっくりとうなずいた。



          中編に続く...

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