2017/09/04

工房小説 『思い込んだら百里の道を』 中編

 この中編の前半部分ははたして物語に必要だったのだろうか。
 …なんてことを思いつつ投下。
 まあ、メイリンの心のうちを描写する必要があったという言い訳で誤魔化しておきます(ヲイ


 この作品はフィクションです。
 登場する団体・人物等は現実のものと一切関係ありません。



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 メイリンは天然で相当マイペースな子である。
 ……というのは工房内もしくはその周辺地域での話であって、一歩工房主とともに域外へ出ると立派なメイドへと変貌――つまり、主に真摯に仕える『従者』となるのである。
 『工房メイド』と『メイド』は似て非なるものという風に日頃から公言している工房主だが、工房メイドを預かるヴィアーチェとしては『メイド』の名を冠する以上はメイドの仕事をこなせなければならないと考え、厳しく指導を行ってきた。
 メイリンはその教育成果をつい先ほど発揮したのだが――
「さっきのアレは一体何のマネなのか、小一時間問い詰めたいんだがよろしいか?」
「…………」
 昼食を終え、車に戻って少し荒れたアスファルトの道を走りながら、工房主は複雑な表情を絶やさずに言った。
 一方メイリンは手にしたメロンパンをはむはむとリスのようにかじりつきながらその言葉を聞き流している。焦点の合わない黒い瞳でボーっと進行方向を見つめながら、無感情な機械のように食べ終えたパンの空き袋を折りたたんでは次のパンを貪り食うという行動を繰り返していた。明らかに様子がおかしい。
「あの、メイリンさん。何をそんなにおスネになられているのか存じませんが」
「別にスネてません」
「…………」
 どこからどう見てもスネた子供にしか見えない行動を取りながらそれを否定するメイリンに、工房主はどうしていいやらわからずに頭を掻いた。
 昼食を取るために店を探し、メイリンがここにしようと選んだのは個人経営らしき定食屋だった。創業から数十年は経っているだろう薄汚れた店内と、地元の常連らしき客たち。よく言えばアットホーム、悪く言えば排外的な定食屋である。
 そんな場所に余所者の男とメイド姿の若い女が入ってきたというだけでもいい加減目立ちまくりなのに、あろうことかメイリンは工房主のために椅子を引き、メニューを開いて見せ、主に代わって注文し、運ばれてきた料理を食べやすいように整えた。年季の入った店員の老女よりもテキパキとしていて、しかも所作が美しかった。
 そして工房主が食事を始めようと箸を手にしたところで、メイリンはその背後に立ち控えた。自身の食事分はもちろん注文していない。
 そんな状況で楽しくごはんを食べられるほど精神が図太くできていない工房主は、周囲からの視線に耐え切れずにギシギシとオイルの切れたロボットのように振り返り、
「あの。メイリン? 君も座って食事していいんだよ?」
「滅相もございません、主様。メイド風情が主様と同じテーブルに着くなど、あってはならないことでございます。私めなどはお気になさらず、お食事をお続けくださいませ」
 と笑顔で答えるばかりで、頑なに工房主のサポートに徹していた。
(ああ、メイドの役になりきってしまっているのか……こりゃ言っても無駄だな……)
 メイリンが完全に『演技』に入っているのだと彼女の表情から察し、工房主は諦めのため息をついた。こうなっては何を言おうと無駄である。今の彼女は『メイリン』ではなく『主に仕える従順なメイド』なのだから。
 最終手段として工房メイドに強権を発動できる『工房主命令』というものがあるが、それはこういうシーンで使うものではない。工房メイド自身に著しい不利益や危険がある場合にのみ、工房メイドの意思とは関係なくそれを回避させる命令に従わせるために使うものと自戒している。
(まぁ、私が耐えればいいだけだしな。なんかもう、慣れてるし……)
 ひたすら居心地の悪さを感じながら、工房主は周囲からの好奇やら嫉妬やらが入り混じった突き刺さるような鋭い視線(だけではなくメイリンに下品な声を掛けてきた酒臭い中年のオッサンもいたが、メイリンの肩に触れた瞬間に投げ飛ばされて強制退店した。どうやら武闘派メイドを演じているようだ)の中で、精神的圧迫のせいか何の味もしない食事を済ませ、勘定を終えると店を後にした。
 メイリンは入口で振り返り、店内にいた全員に「お騒がせ致しました。皆様御機嫌よう」と丁寧な礼をして場を辞した。
 最後までメイドとしての振る舞いを崩さず、車に乗って、少し走り出したところで――メイリンはふと纏う雰囲気を変え、どこかに隠し持っていたパンをもそもそと食べ始めたのである。
「おなかが空いていたんなら、一緒に食べればよかったのに」
「…………」
 無視。
「で、さっきのは何?」
 いくら工房主が好奇にさらされ奇異の視線を受けることに慣れてはいても、だからと言ってノーダメージというわけではない。その原因となったものに問い詰めたくなるのは当然である。
「……メイリン。どうしてあんなことをした? 君には答える義務がある」
「私には黙秘する権利があります」
「権利とは義務を果たしてこそ得られるものだと思うんだけど」
「義務を果たすことで得られるはずの権利が無意味になる場合はどうすればいいんですか」
「説明しない権利を得るために説明する義務を果たすのは矛盾すると言いたいのかな」
「そうです」
 チーズ蒸しパンをもふっと一口頬張り、メイリンはうなずいた。工房主はしばし唸り、ふうと息を吐く。
「では質問を変えよう。先ほどの行動に対して、何か話せることはあるかな?」
「黙秘します」
「あるか、ないか、だよ。黙秘するのはフェアじゃない」
「では、『ありません』と」
「そっか。それなら別にいい」
 言って、工房主はそれきり口を閉ざした。理由を知りたいのは山々だが、メイリンが話したくないと言うのなら無理に聞き出そうとは思わない。工房主とメイリンは雇い主と雇われ人の関係だが、立場は対等であるというのが工房主の姿勢なのだ。
「……それでいいんですか」
「いいもなにも、そうするしかないからね。もちろん理由が気にならないわけじゃないけど、メイリンが話したくないと言うんだから仕方ない。話してもいいと思うようになるまで待つだけだよ」
「…………」
 ああ、やっぱり主さんだ。
 とメイリンは思った。
 本当のところ、先ほどの行動はヴィアーチェのことばかり考えている工房主の態度にちょっとスネて困らせてやりたくてやったことで、結果的に無意味だということもわかっていたし怒られるのも覚悟していた。
 しかしやはりというか予想通りというか、工房主は強く出ることなくメイリンの自由意志に委ねる方向へ舵を切った。そういうところが工房主のいいところであり、物足りないところであり――
「そうやってすぐに私を甘やかすから、主さんがメイド長に怒られるんですよ。私は、その、叱られないのは助かるんですけど、主さんが私のせいで怒られるのを見るのは正直……気が引けます」
 ぼそぼそと呟くように言って、チーズ蒸しパンの残りをはむはむっと一気に口に放り込んだ。工房主は心底意外そうに目を見開く。
「……メイリンがそんな風に考えていたなんて思わなかった。私が怒られていようと関係ないよって思ってるんじゃないかと」
「いくら私でもそこまで能天気じゃありません」
「これは失敬」
 おどけ調子の中にも真面目な空気を込めて、工房主は恭しく非礼を詫びた。
 私ってそんなふうに見られていたんだなぁ、とメイリンは複雑な表情をしながら、ぷしゅ、とペットボトルの紅茶を開けて、それに口をつける前に運転席に目をやった。
「……一つ、お聞きしても?」
「なんなりと」
 フロントウインドウの向こうに視線を向けたまま工房主が応えると、琥珀色を一口飲み、メイリンは独り言のように言った。
「どうして叱らないんですか。私はわざと主さんに恥をかかせたんですよ」
「質問に質問を返すけれど、メイリンは私に恥をかかせて楽しかった?」
「……いいえ。正直なところ、今の気分は最悪です。どうしてあんなことをしたんだろうって自己嫌悪しています」
「だろうね。そういう顔をしてる」
 そう工房主に言われて、メイリンは初めて眉間に無駄な力が入っていることに気づいた。息を吐きながら力を緩め、指でさすさすと撫でてシワを伸ばす。
「それで、その質問返しと叱らない理由になんの関係があるんです?」
「メイリンは悪いことをして、それが悪いことだと理解して自己嫌悪し、反省している。ならそれ以上追求したところで意味がない。だから叱らないし、理由も聞かないんだよ」
「私じゃなくアレッサさんが同じことをしていたら、理由を聞き出してもっと怒ってますよね」
「そりゃあね。アレッサは叱らないとやったことの意味に気づかないし反省もしないから」
「それって私が贔屓されてるってことですか。甘やかされているってことですか」
「違う」
 問い詰めるように急きこむメイリンの言葉をきっぱりと否定した。
「メイリンは自分で悪かったところを理解して反省するから、こちらからうるさく言わないだけ。アレッサは言わないとわからないから言う。言ってもわかってくれないから困るんだけども。ローナは自己弁護の理論武装した上で明確な悪意を持った行動を取るから、叱る意味がない。悪いとわかっててやってるんだから説教が効くはずがないんだ。クローディアは滅多に悪いことをしないけど、やってしまったときは自分の何が悪いかをちゃんと把握してくれる。メイリンと同じで叱る必要は無いんだけど、けじめをつける意味で『叱られたがっている』ことがあるから建前上の説教はするよ。まあ、君たちが悪いことをしたときに各人で対応を変えてるのは、そうすることで叱ることの効果が一番高くなるからであって、決して贔屓でやっていることじゃない」
「そうするほうがいいとメイド長に言われたんですか」
「え? い、いいや? なんで?」
「……ちょっとそう思っただけです」
 あからさまな焦りを見せて白状したも同然の工房主だったが、メイリンは深く追求はしなかった。工房主の行動も考えも、すべてにおいて銀髪紅眼の完璧超人の影が見えている。そんな中にどうやって入っていけばいいのだろう、と小さく息をついて、紅茶を一口含んでゆっくり飲み込んだ。
「メイド長には勝てませんね……」
「そうかな。メイリンにもいいところはいっぱいあるし、ヴィアーチェより優れたところもあるじゃないか」
「勝ちたいところで勝てなければ意味がないんですよ」
「……?」
「すみません、独り言です。……それより主さん、一つ大事なことが」
 いつになく真剣な眼差しで、唐突にメイリンは言った。ごくり、と気圧された工房主の喉が鳴る。
「な、なにかな……?」
「とても重要なことです。それこそ私たちの目的を脅かすほどの」
「…………」
 重々しい口調と共に車内の空気までもが重くなったように感じるのは、決して工房主の錯覚ではないだろう。メイリンの桜色の唇から紡ぎ出される言葉を受け止める覚悟をするだけの間をたっぷりとって――続きを促した。
「それで、大事なことって……?」
「ええ。私たち――定食屋さんを出てからずっと、逆方向に走ってます」
「……早く言ってよそういうことは……」
 がっくりと肩を落とし、工房主は思っていたこととは少し違う『重大なこと』に嘆息しつつどこか方向転換できそうな場所を探し始めた。メイリンがスネてナビをしてくれなかったことが原因で、少なくとも二十分は無駄に移動したことになるが、それなりに意味のある会話をしながらドライブができたからいいかと納得することにした。
 適当な広場を見つけてささっと方向転換し、「今度はちゃんとナビを頼むよ」と微笑む。
「やっぱり怒らないんですね」
「そりゃあもう、メイリンみたいに可愛い黒髪メガネのメイドさんと二人きりでドライブしていて怒るヤツがいますかね」
「そういうのを甘やかしてるって言うんじゃないんですか?」
「それの何が悪いのかわからない」
「……そうですか」
 潔い断言にメイリンは少し考えさせられたが、甘やかされるのは嫌ではないし、ひょっとしたらこれはヴィアーチェにもない特権なのではと思うと、悪い気はしなかった。


     ・   ・   ・


「いくら積めばいい?」
 真剣そのものの表情で、アレッサはローナの前髪に隠れた目を睨み付けた。
「それを決めるのはアレッサさんですよ。いくら積むかを決めるのは私ではありません」
 ふふ、と『工房の魔王』の二つ名に相応しい含みのある涼しい笑みを浮かべて返す。
 メイリン(とそのオマケ)を探す手立てがアレッサにはなく、仕方なくローナの情報網を利用することにしたが、いかんせんその情報網の『利用料』は法外である。そのボーダーを探る為に百合魔人と魔王が互いに薄氷を踏むようなやりとりをしている――のだが、交渉事となればやはり知識知恵に劣るアレッサのほうが分が悪い。何よりローナには積極的にメイリンを探さなくてはいけない理由がないということがこの交渉において恐ろしいほど強力なアドバンテージになる。
「ローナ、アンタも知ってるだろうけど、あたしにゃそれほど積めるモノがねェ。それを全部差し出したところで、アンタはうんと言わねェだろ?」
「ですね」
「ってことは、あたしゃあたしのリミットを超えて積まなきゃならない。その超過分はなるべく抑えたいわけで、そうすると、アンタがうんと言うところを知らなきゃならないんだ。だから、いくらか言って欲しい」
「……三十点、ですね。アレッサさんがすべきは、私の譲歩を引き出すことではなく、どれだけ積めるかをアピールするという一点です。私が納得するギリギリの線を見極めるだけの、至って単純な構図ですが……それすらも理解されていないのですか?」
「ちっ、うるせー。あたし流の交渉には銃が必須なんだよ。けどそんなもん使ってもアンタ相手じゃ無駄だろ」
 打つ手なし、といわんばかりにアレッサは肩をすくめた。ローナは変わらず涼しい笑みを浮かべている。
「では、これでいかがです?」
 と、横から割り込んだのは、メイド長ことヴィアーチェ。軽く握った右手を胸の前に掲げ、人差し指を立てている。
「ええと? メイド長ともあろう方が、たったの一本ですか?」
「いいえ、ケタが違いますよ」
「それでもまだまだ……」
「まだ上です」
「まさか。メイリンさんを探すのに『千』出すと?」
「いいえ、そのもう一つ上です」
「……本気ですか?」
「もちろん。八重崎ヴィアーチェの名にかけて必ず積みます。ですから、メイリンさんと主さんを探してください」
「…………」
 冗談を言っている雰囲気もなく、真剣な表情で言い切ったヴィアーチェ。ローナは思わず笑みを崩し、真顔で年下の上司を見つめ返す。無言で視線を交わし、心変わりはないと悟ったところでローナはふと笑みを戻した。
「……わかりました。私の人生で最も急いでメイド長のご期待に沿うとお約束いたしましょう」
「ありがとうございます」
 にこりと微笑んで、ヴィアーチェは深々と頭を下げた。
「……私にはついていけん世界だ」
「そうだナ」
 ぽつりと呟いたクローディアに、アレッサは同意して苦虫を噛み潰したような笑みを返した。


     ・   ・   ・


 町を外れて田園風景が広がる一本道を、工房主とメイリンが乗る車が走り抜けていく。山すそに差し掛かったころには曲がりくねった道に変わったが、もとよりコーナーの多い道のほうが好きな工房主は水を得た魚のように峠道を疾走していた。
「この辺じゃなかったかな、メイリン」
「ですねぇ……」
 山の中腹に差し掛かった辺りで周囲の景色が開け、牧草地が広がる平地に着いた。メイリンの目的地が近いらしく、地図よりも周囲に目を配ってメガネの奥の黒い瞳がキョロキョロと辺りを見回している。そのうち探し物が見つかったのか、メイリンは声を弾ませて窓の向こうを指した。
「……あっ、主さん、あそこですよ! あの赤い屋根の建物です!」
 牧場の横に畜舎があり、そこから少し離れたところにポツンと佇む小さな洋風二階建ての建物が見えた。その一階には暖かそうなオレンジ色の光が灯っていて、人がそこに居ることを示している。
「ああ、よかった。間に合ったようだね」
 ほう、と安堵のため息をつき、工房主はちらりと視線を横に向けた。その先には沈みつつある夕日が赤く燃えており、東の空はすでに紫から黒に変わり始めていた。カーオーディオの時計を見ると、午後六時少し前だった。
「早く、早く、主さん!」
「わかってる。ここまで来れば大丈夫だよ、慌てなくても」
 子供のように急かすメイリンをなだめつつ、工房主はハンドルを切って赤屋根の建物の方へ車を走らせ、駐車場に車を停めた。三台分ある駐車スペースには白いランエボが一台停まっていたが、周囲に人の気配は感じられない。ただ、柵で囲まれた牧草地帯に牛が数頭いるだけだった。
 工房主とメイリンは車を降り、荷物を持って赤屋根の建物の入口の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
 とカウンターらしきところにいた若い女性が頭を垂れ、顔を上げる。そして流れるような営業スマイルでタブレット端末を操作した。
「宿泊のご予約の安芸様ですね。お待ちしておりました。こちらの宿泊名簿にお名前とご住所をお願いいたします」
「はい、はい」
 メイリンは身を乗り出すようにして受け取ったペンで『安芸美鈴』と書き、ちらと工房主に目をやって、続いて『南村ともみ』と名を連ねる。住所と電話番号は工房のものを記入し、ペンを置いた。
「? 何か?」
 受付の女性が一瞬眉をひそめたことに気づいたメイリンは少し首を傾げた。女性は慌てて笑みを戻し、
「いえ、失礼しました。ではお部屋にご案内させていただきます。こちらです」
 丁寧に名簿を鍵付きの棚にしまい、カウンターの左側にある階段をのぼった。二人もその後ろについていく。
「ご予約ではダブルの部屋で一泊とのことでしたので、こちらの二〇二号室となります」
「ぅえっ? ダブル?」
 女性の説明に素っ頓狂な声を上げる工房主。
「ダブルの部屋で予約したの? メイリン」
「そうですよ? 当たり前じゃないですか」
「……なんてこった……」
 聞いていた話とは違う――というより聞かされていなかった重要な事実に、思わず工房主は頭を抱えた。単に宿に一晩泊まるだけ、予約は二人分取ってある、料金は前払いで他の費用も持つので主さんには負担をかけない、チェックインの日没まで時間は十分ある、だからどうしても一緒に行って欲しいとメイリンから懇願されたので車を出したが、まさか同室でダブルの部屋とは予想外だった。
「あの、不都合がございましたか……?」
 何か行き違いがあったのかと心配そうに女性は尋ねたが、工房主は慌てて手を振って否定した。
「いえ、こちらの問題ですので。すみません」
「そうですか。ではこちらがお部屋のキーになります。夕食は午後七時、明日の朝食は午前七時半から九時までとなっております。何かございましたら、部屋に備え付けのインターホンでお呼びください。それでは、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
 簡単に説明を終えた女性が階下に戻ると、メイリンと工房主は部屋の中に入って荷物を下ろした。イミテーションではない年代物の板と漆喰の部屋で、天井照明と四隅の間接照明がぼんやりと灯っている。決して暗いわけでも明々としているわけでもない中途半端な明るさが妙な雰囲気を醸し出していて、工房主はなんとなく落ち着かない気分になった。
「わー、主さん主さん。ベッドがふかふかですよ!」
「こらメイリン。他のお客さんがいるっぽいから大きな声で暴れるんじゃありません」
 ぴょんと飛び跳ねてベッドに全身ダイブするメイリンに注意して、よいしょとソファに腰掛ける。寝転ぶには十分な大きさで、これならメイリンと同じベッドで一晩過ごすというような事態にならずに済みそうだと安堵した。
「それにしても、だ。どうしてダブルにしたの?」
 とベッドダイブの格好のままでぱたぱたと足を動かすメイリンに向き直る。スカートがきわどい感じでめくれ上がり、白く柔らかそうな絶対領域が見えていたので慌てて目を逸らした。ロングスカートという防御力の高いものから足が見えるという稀有な現象の攻撃力は尋常ならざる高さを誇る。
「……見ました? 主さんのえっち」
「いや、ちが、不可抗力だよ」
 慌ててそう言ってから、これでは見ましたと白状したも同然だと気づいた工房主。メイリンらしからぬブラフにまんまと引っかかったバツの悪さにうつむいて頭をガリガリ掻いた。
「とにかく裾を直しなさい、メイリン」
「私は別にいいですけどね。主さんなら見られても」
「そういうことを軽々しく言うもんじゃありません」
「むー……」
 ぷう、と頬を膨らませてごそごそとベッドの上にのぼって座り、じとーっと工房主を見る。
「ずっと思ってたんですけど、主さんって」
「ん?」
「えっちなことに興味ないんですか?」
「あるに決まってるだろう。何を言ってるのかね」
「あ、ぅえ、そ、そうですか」
 思ったより潔い一言が返ってきたことに驚き、メイリンはそう答えるのがやっとだった。
「興味があるからメイリンと同室で一つのベッドしかないって状況に邪な期待をしてしまうし、だからって迂闊な行動を取らないように、そんな期待は持ってはいけないと必死に自制しているのに、メイリンがそんなじゃこっちの努力が無駄になるじゃないか。わかってる?」
「あ……はい……すみません……」
「こちとら生まれてこのかた、女の人とお付き合いしたこともなければ同衾したこともないんだよ。そんなリビドーを持て余した青い坊や(ただし見た目はおっさん)を勘違いさせるような言動は謹んでいただきたい。正直、メイリンが本気で誘惑してきたら抗いきれずに押し倒す自信があるよ。だってメイリンは可愛いし、メガネだし、黒髪だし、私好みのスタイルだし、メイドだし、メガネだし、少なからず好意を向けてくれるんだから理性なんて簡単に吹っ飛ぶに決まってる」
「メガネ二回言った……」
「それでうっかり手を出した日には、事後にめっさヘコんで、罪悪感で再起不能になるんだよ! きっとそうなる! わかりきってるんだよ!」
「いや、あの、主さん、大声はちょっと……」
 唐突にキレだした工房主のエキサイトっぷりにドン引きしながらも、メイリンは落ち着いてくださいと手をヒラヒラさせる。しかしそれでも工房主のボルテージは上がったままで、なおも言葉を吐き出そうとして――
 ドンッ!
「ひっ……」
 隣の部屋からの大きな音に驚いたメイリンの小さな悲鳴で我に返る。どうやら騒ぎすぎて隣人が壁を叩いたらしい。工房主は音のしたほうに向かって「すみませんでした」と声を掛けて一礼した。謝罪はともかく礼は隣室の人には見えないが、そこは気持ちの問題である。
 続いて、落ち着きを取り戻すために息をつき、メイリンに向き直る。
「……ごめん。ちょっと熱くなった」
「いえ、私こそすみませんでした……」
 互いに謝りあって、しばらくそのまま見つめ合って、なぜだかおかしくなってどちらからともなく笑い合った。
「でも、主さんに興味がないわけじゃないってわかって、私なんかを押し倒したいって思ってるってことにほっとしました」
「え?」
「そうでなきゃ、ダブルにした意味がありませんもの」
「……?」
 ふふふ、と意味深に笑って、メイリンはひょいっとベッドを降り、くるりとターンしてスカートを膨らませ、
「おなか空きましたね。ごはんに行きましょう、主さん」
 嬉しそうにドアを開けた。


     ・   ・   ・


 交渉が済み、速やかに行動に移ったローナがメイリンと工房主の居場所を突き止めたのは、作業開始から五分後のことだった。
「早ッ! めちゃくちゃ早ッ!」
 その知らせを聞いたアレッサは思わずそう声を上げ、お湯を入れたばかりのインスタントカップうどんの蓋を押さえる手を思わず放してしまった。
「居場所がわかったらスグに追いかけられるようにってハラごしらえする暇もなしかよ!」
「メイド長と『最速で』と約束しましたので」
「それにしても早すぎンだろ。五分だぞ五分。カップうどんの麺もまだカッチカチだよ。何をどうやったんだよ?」
「主さん風に言うなら『禁則事項です』といったところでしょうか」
 うふふ、と意地の悪い笑みを浮かべ、人差し指で口を押さえるローナ。アレッサはその態度に怒るでもなく、軽く頭を傾けただけだった。初めからこの魔王が素直に白状するとは毛ほども思っていない。
「だろうな。まァいいや。どんな方法だろうとメイの居場所がわかったんならノープロブレムだ。で、ドコだ?」
「ここです」
 とローナがタブレットPCに表示された地図を示すと、アレッサはほとんど柔らかくなっていない麺を箸で無理にほぐしてずるずるとすすり、かなり芯の残るうどんをもしゃもしゃ咀嚼しながらそれを覗き込んだ。
「……なんだここは? 観光地か何かか?」
「さて。よくわかりません」
「メイはこんなところに何の用があって……いや、そいつは直接本人から聞きゃいいか」
 言ってアレッサは、はふ、あつっ、とダシを目一杯吸い込んだ甘辛い油揚げを頬張り、若干パリパリした歯ごたえを楽しんでから飲み込み、残った麺を一気にすすりつくした。
「もう少しゆっくり食べないと消化に悪いですよ」
「心配無用だローナ。あたしの胃はそんなにヤワじゃねェよ。それより移動手段だが」
「車が良かろう。どうも鉄道で追いかけるには不便な場所のようだ」
 とクローディア。ローナが持ったままのタブレットを器用に操作し、地図を拡大してみたところ、付近に鉄道の駅らしきものが見当たらなかったのである。
「クルマか……時間かかるなァ。メイド長、八重崎の力でちょいとヘリとか用意できないスかね? 操縦はあたしがやるんで」
「さすがにそれは……」
「ですよねー。仕方ねェ、知り合いンとこでクルマ借りるか……」
 カップのダシを一気に飲み干し、けぷ、と胃にたまった空気を吐いて、アレッサはポケットから取り出したスマホの操作を始めた。


     ・   ・   ・


 美味しいものに鼻が利くメイリンが来たがったのだから相当期待できる夕食が出る――と思っていた工房主だが、その想像を大幅に裏切った何ともつまらないメニューで空腹を満たし、早々に部屋に引き上げてソファに腰を下ろした。
「牧場というだけあってミルクやバターは新鮮そのものだけど、料理人がそれを生かしきれていないというところか……。これなら工房のごはんのほうが数倍美味しいよ」
「仕方ないですよ。ここの人は菓子職人であって料理人じゃないですから。……お茶、入りました」
 不満そうにぼやく工房主をなだめるような軽い口調で言って、メイリンは部屋に備え付けのティーバッグの紅茶を入れたカップをテーブルに置いた。
「ありがとう」
 カップを手に取り、一口飲んで、ほう、と息をつく。粉っぽさの残る安物のティーバッグの味だが、入れ方がいいのか、まったく不味いとは思わなかった。
 メイリンも自分の分を用意し、ベッドに腰掛けてカップを傾けた。あまりお気に召さないらしく、難しい顔をして首を傾げ、スティックシュガーを二本追加してかちゃかちゃとかき混ぜてから一口飲んで、ようやっと笑みを浮かべた。
「それはそうとメイリン。ものすごく今更な質問をしてもいいかな」
「はい」
「私たちはここに何をしに来たのか、それをまだ聞いてないんだけど」
「えっ……言ってませんでした……?」
 心底意外とばかりにぽかんとするメイリン。自分では詳細を話したつもりだったようだが、出発時に慌てていて肝心なところを話していなかったのだ。工房主が車を出したということは理解してもらえたのだろうと勝手に思い込んでいた。もっとも、よくわからずに車を出した工房主にも幾分かの非はあるのでメイリンだけが悪いわけではない。
「聞いてないね」
「そ、そうでしたっけ……。えっとですね……」
 手にしたカップをテーブルに置いて、なるべく簡潔に理由を説明し、最後に「というわけです」と締めくくった。
 しばしの沈黙。
「……そういう理由でこんなところまで……」
 想像以上にとんでもない理由を聞き、工房主は苦虫を噛み潰したような顔で頭を抱えた。詳しく説明したことで自分の行動の突飛さをたった今認識したメイリンは、我ながら大変なことをしてしまったかもしれないと不安に表情を曇らせた。
「怒ってます……よね?」
「いや、まあ、さすがにね。そういう理由でこんなことをするのはちょっといただけない。ヴィアーチェが心配するのがわかりきってるわけだし。メイリンはどう思ってる?」
「……すみません」
 険しい表情の雇い主に謝罪の言葉を返し、メイリンは頭を下げた。しかしその顔には一つの意思――覚悟のようなものがはっきりと見て取れた。
「でも、私にとってそうする価値があります。主さんと二人きりでここまで来たことは、絶対に無駄だとは思っていません」
「メイリンにとってはそうかもしれない。でも、私にとってどれほどの価値があるんだろうね、それは。私の得るものって何かな?」
「わかってます。私のめちゃくちゃなワガママに、無理矢理主さんを巻き込んだことは十二分に。ですからお詫びとして……」
 ベッドを降りてブーツの紐を解き、それを脱いでベッドサイドに並べて、メイリンは突然気を失ったように力無くぽふっとベッドの上に仰向けに倒れた。長く艶やかな黒髪とロングスカートのメイド服が真っ白なシーツに広がり、少し身体をくねらせた姿が普段の純真無垢なメイリンからかけ離れて妙に妖艶に見える。
 そして、若干上気したように頬を朱に染めて、言った。
「主さんのお気の済むように、私を好きにしてください」




          後編に続く...

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