2017/09/29

工房小説 『思い込んだら百里の道を』 After

 先日投下した工房小説の後日談(当日の話ですけど)です。
 ローナとヴィアーチェのやりとりの結末を書いていなかったので追記ということで。



 この作品はフィクションです。
 登場する団体・人物等は現実のものと一切関係ありません。


 


 その日の夕方近くになって、一行は工房へと帰りついた。アレッサは借りた車を返しに行き、クローディアは当番の夕食作りにキッチンに入った。メイリンは料理のサポートに忙しく動き回っている。
 そんな慌しいダイニングにやってきて冷蔵庫の冷えたお茶をコップに注いだ工房主は、テーブルで真面目な顔をつき合わせているヴィアーチェとローナに気づき、一気にお茶を呷ってからそちらに目を向けた。
(何の話をしてるんだろう……?)
 あまりにもヴィアーチェが真剣な表情をしているのが気になり、しばらくその様子を遠巻きに見ていた。
「……メイド長は主殿を探すために億を積んだ。その話ではないかな」
 とクローディアがすれ違いざまにそう耳打ちした。ヴィアーチェが『つんだ』という『おく』が何を示すのか一瞬理解できなかった工房主だが、
「主さんたちの居場所を探していただくのに、ちょっとだけ出費したんです」
 と言っていたのを思い出し、『おく』の意味に気づいた。しかし意識がそれを認めてくれず、軽い混乱状態になる。
(え……? ええ? 『おく』って『億』のことだよな? いちおくえん? まさか)
 信じられないと思いはするが、完全な冗談だとも思えなかった。
 『工房の魔王』と異名をとるローナならそれくらい平気で要求するだろうし、超資産家の孫娘であるヴィアーチェなら用意できない額ではない。今まで彼女らを見てきた工房主には、それが現実味の無い戯言ではないということはわかっていた。ただどこまでも『現実感』がないだけである。
(嘘、だよな。いくらなんでも『億』なんてローナのいつもの冗談だよな。そんなこと、あるわけが……)
 クローディアが嘘をつくはずがないとわかってはいても、にわかには信じられなかった。いったい何が真実で何を信じればいいか――今は判断できなかった。実際にはローナが要求したのではなくヴィアーチェが自分から積んだ金額だが、そんなことは今の工房主には瑣末な問題である。ただひたすらに単なる冗談であってくれ、と願いながら二人の会話に耳をそばだてた。
「即金は無理ですので、明日の夕方まで待っていただけますか。明日の夕刻には必ず、約束の一億円は用意します」
「一億? メイド長、金額をお間違えでは?」
 ん? と首を傾げ、ローナは言った。ヴィアーチェの眉根が寄り、何か忘れていることがあっただろうかと記憶を辿る。
「そう……でした。他にもいろいろとお手を煩わせましたものね。ではその追加分もおっしゃってください。用意します」
「そうですね……」
 ふふ、と意味深に笑う魔王を、ヴィアーチェは全く表情を動かさずにじっと見つめていた。
(……本気だ……ローナもアーチェも……。ダメだこんなのは)
 さすがに黙っていられなくなったか、工房主は二人に割って入った。
「ちょっと待った、ヴィアーチェ。落ち着いて」
「主さん? 私は冷静です」
「冷静じゃないよ。たかだか人探しに一億って、常軌を逸してる。ローナも、こんなとんでもない額を本気で取るつもりじゃないよね?」
「私はメイド長から求められたお仕事をきちんとこなしましたし、その対価としてメイド長がおっしゃった『千』のヒトケタ上をいただくつもりですが?」
 さも当たり前のように言って、ローナは笑った。工房主の眉間にきゅっとシワが刻み込まれる。
「どうしても取るつもり?」
「もちろんです。タダ働きなど私の主義に反します。主さんもご承知だと思っていましたが」
「知ってるよ。でも……!」
「主さんが何をいくらおっしゃっても、私はメイド長から報酬をいただきますよ。きっかり『一万円』を」
「いや、だからローナ、それは…………一万円?」
 聞き間違えたか、と工房主は改めて問い直す。
「一万円、って言った? ローナ」
「はい。い・ち・ま・ん・え・んです。諭吉さんお一人です」
「……どうして」
 信じられない、といわんばかりにヴィアーチェが呟く。ローナはにっこり微笑んで、
「しっかりしてくださいメイド長。小学生の算数もわからなくなったんですか?」
 と小馬鹿にするように口元に手を当てた。
「私は言いましたよね? 『千のヒトケタ上をいただく』と。千円のヒトケタ上は一万円ですよ? だから先ほど一億円は金額間違いではないかと申しました」
「え……ええ? でも、あのとき……」
 言いかけてヴィアーチェはハッと気づいた。
 価格交渉をしていたとき、自分もローナも『一度たりとも具体的な数字を出していない』ことに。ヴィアーチェは『一本』を『十万円』のつもりで提案し、不満げなローナにうんと言わせようとケタを上げて一億まで積んだつもりだった。しかしローナは一度も『一本の値段』も『では一億でやります』とも言っていない。ただローナならそれくらい要求してきてもおかしくないとの思い込みがあっただけだ。
「本当に一万円で?」
「ええ。あの程度の作業なら一万円で十分ですが何か不都合がおありでしょうか?」
「そういうわけでは……」
 なんとなく釈然としないままにヴィアーチェは財布から一万円札を一枚取り出し、ローナに渡した。受け取った魔王はいつの間に用意したのか、額面『一万円』の領収書を差し出した。
「確かに。ありがとうございました。メイド長」
「いえ、こちらこそ……でも、いいんですか? もっと要求して下さっても」
「いえいえ、これで十分です。主さんを探すために九桁をぽーんと積んでしまうメイド長の愛の深さを見せていただいたので、その見物料を差し引かせていただきました。ですからお気になさらず」
「あっ、愛とかっ、そんなじゃなくてですねっ……! メイリンさん! そう、メイリンさんのことが心配だっただけで……!」
「わかりました。そういうことにしておきます。……お支払いもいただきましたし、食事の準備の手伝いをしませんとね」
「そういうこととはどういうことですかローナさん! ちょっと、話はまだ……もぅ!」
 なにやら勘違いをしているローナに訂正の余地を与えられずに席を立たれてしまい、ぷんすかと頬を膨らませるヴィアーチェ。そんな様子を見ていた工房主が思わず吹き出してしまった。
「な、何ですか主さんまで……!」
「いや、あんまりアーチェが可愛い反応をしてたものだから、つい……」
「可愛いとか言わないでください。それと、今ここでその呼び方は」
「ああ、ごめん、気をつける。……それはそうとして」
 きゅっと表情を引き締め、工房主はヴィアーチェをじっと見つめる。
「今後、私を探すだけのことで大金を出すようなことはしないでほしい。そんなことをされたら、私はヴィアーチェに償いきれない借りを作ってしまうことになる」
「借りだなんて……私はそんなものを作りたいと考えていたわけでは」
「わかってる。でも、私にとってはそれが紛れもなく『借り』なんだよ。一生、ヴィアーチェに対して負い目を持つことになるんだ。それはちょっと、勘弁してほしい」
「……申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」
「うん。でも、本当にありがとう。そうまでして探そうとしてくれたことには、これ以上ないほど感謝してる。ありがとう」
 折り目正しい姿勢で深く頭を下げて、工房主は心を込めて言った。突然のことに呆気にとられたヴィアーチェはハッとして慌てて手を振る。
「い、いいえ、主さんにお仕えする工房メイド長として当たり前のことをしただけですので……」
「ありがとう、アーチェ。大好きだ。超愛してる」
「……っ!」
 工房主の不意打ちの言葉にばふっ! とド派手な蒸気爆発を起こし、ヴィアーチェはそのまま茹で上がって動かなくなった。
 そのタイミングでダイニングのドアがバターンと開き、車を返しに行っていたアレッサが戻ってきた。
「おかえり、アレッサ」
「おー、マスター。今日の晩メシは茹で上がったメイド長か。まーた恥ずかしいセリフでもブチかましたか? これじゃあ食う前からゴチソウサマだな」
「おっさんみたいなこと言うなよ……」
「はっはっは。まァいいやな」
 名実ともにおっさんな工房主からおっさん呼ばわりされたことにおっさんのような笑い声を上げて、アレッサはバシバシと工房主の肩を叩いた。
「とりあえずメシだメシ。ハラ減って死にそうなんだ、ディア」
「もう少し待て、アレッサ。すぐできるから食器を出しておいてくれ」
「へいへい、わかりましたよ。おかーさん」
「…………」
 クローディアはその軽口に少しムッとしながらも、手元の料理を続けて小さくため息をついた。
(どうして『工房のお母さん』などという異名がついてしまったのか……)
 そんなことを考えつつ。



          

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