2011/09/27

掌編エッセイ 『クローディアと奈良の小さな店』

 「孤独のグルメ」っぽい小説みたいなのを書いてみたくなったので書いてみた。
 クローディアの視点で書かれているので、文章が淡々としてます。

 読後、読者のおなかが鳴ったら、この駄文にも意味があったと思える気がします。

 


 工房へ出勤するために毎朝利用しているバスを降りるとき、定期券を入れたパスケースをうっかり落としてしまった。すぐに気づいて拾い上げ、紛失には至らなかったが、そのときパスケースに挟んであった赤い紙片が少しはみ出ていることに気づいた。この紙片は何だ、という疑問が湧く前に、私はそれが何なのかを思い出していた。

 何年前だったか。
 工房とも関わりの深い美術家が五條市大塔町に小さなアトリエを構えるというので、私と同僚のアレッサがその手伝いをするために出張を命じられた。大塔町というのはどこを見ても山ばかりといった自然に囲まれた地域で、五條市の中心部から自動車で三、四十分ほど南に行ったところにある。人家もそれほど多くない。工房の周囲も決してにぎやかではないが、それ以上だ。住むには本当に不便そうだと思うが、だからこそ、依頼主の芸術家魂をくすぐる何かがあるのだろう。
 そこでの仕事の内容は赤い紙片には関係がないので省くが、作業が終わったのは午後六時頃だった。我が雇い主の自家用車で来ていた私とアレッサは、依頼主から報酬とは別に手土産を持って帰路についた。これから帰れば遅くとも八時には工房に着くだろう。そう思って私は運転席でハンドルを握る同僚の携帯電話を借り、工房へ到着時間予想と依頼終了の報告を終わらせた。
「なぁ、ディア。途中で何か食べて帰らない? ハラ減ったよ」
 つるべ落としとも比喩される早い日没で瞬く間に真っ暗になった道を、頼りなげにも思える自車のライトだけを頼りに走っていると、アレッサが唐突に言いだした。
「このまま帰ったとして、多分到着は八時過ぎになると思うんだよ。工房じゃメイド長辺りが夕食を用意して待っててくれてるんだろうけどさ、さすがに八時過ぎまで待たせるのもどうかと思うわけ。だから、今すぐ連絡入れてくれないかなー、とか」
「単に外食したいという言い訳にしか聞こえんがな、私には」
 夕食の話は抜きにしても、私たちが戻るまでメイド長が帰宅しないというのは明白だからだ。アレッサがそれを理解していないはずがない。
「とは言うものの、確かに空き腹を抱えたまま運転されて事故でも起こされてはかなわん。その提案に乗ろう」
「おぉ。やけに素直な反応。実はディアもおなか減ってる?」
「人並みにはな」
 答えると、アレッサは大笑いしながら携帯電話を寄越してきた。私はメイド長に遅くなることと食事を済ませて帰ることを報告した。予想通り、帰りを待つとの答えがあった。
 国道一六八号線を北上し、山間の暗い道を抜け、五條市中心街へ戻ってきた。
「ところでアレッサ、どこか適当な店はあるか?」
「んー……そうだなぁ……」
 と、アレッサは迷っているように言うが、ハンドルを持つ手は迷いもなく大和街道側の二十四号線を北上する方へ動いていた。目的地がはっきりしているらしい。商店が立ち並ぶ市街を抜け、国道を少し行くと、車は道をそれて右折した。
「ラーメン食べたい」
 そう一言、アレッサは呟いた。
 細い道に入ったところの右手側に、やけに薄っぺらい印象のある二階建ての建物が二軒並んでいて、国道から見て手前は居酒屋、奥はラーメン屋らしき看板が上がっていた。その二軒のさらに奥へ行くと何もないスペースがある。そこに車を停めると、アレッサは運転席を降りた。
 建物自体を赤く塗ってあり、手製と思しき色とりどりに塗られた豆電球が軒先に並んで吊り下げられていた。屋号の入った置き看板には明かりが点いておらず、入口から漏れる室内の明かりと豆電球のあえかな光がアスファルトに複雑な模様を落としていた。
「ディア、今何時だっけ?」
 問われて、私はアレッサの携帯電話を預かったままだったことを思い出した。懐から取り出して時間を見ると、十八時五十四分だった。そのまま告げると、相方は小さく唸った。
 店の入り口のすぐ横に営業時間が書かれていて、平日は午後七時からの営業、となっている。
「五分くらい待てばよかろう」
「五分くらい早く開けてもいいんじゃない?」
 と切り返し、アレッサは入口のドアを開けた。知っていたが本当に待つのが嫌いなのだな。
「ちょっと早いけど、いい?」
 中にいた店員の男にアレッサが尋ねると、少し沈黙してから「どうぞ」と返答があった。開店時間前だからどうしよう、という沈黙ではなく、どちらかというと驚いて言葉を失ったという様子だった。なぜ、と考える必要も無く、自分たちがメイド服を着ているからだとわかった。メイド服が恥ずかしいと思ったことは無いが、一般的にこの格好は普通ではないのだから店員が驚くのも仕方のないことだろう。
 どうぞお好きな席に、と店員が言う。開店前に押し掛けたので当たり前だが、他に客はいなかった。
 店内は外から見た通りに狭く、四畳半程度の広さしかなかった。入口から遠い側の隅に厨房があり、カウンター席で囲まれている。カウンター席は全部で八席。テーブル席は四人掛けが二つ。本当に詰め込むように配置されていて、お世辞にも『広い』とは言えない。
 壁にはメニューと魚拓が貼ってあり、六十センチオーバーのチヌや、四十センチくらいのオナガグレの魚拓が誇らしげに飾られている。ここの主は釣りが趣味なのだろう。
「ご注文はお決まりですか?」
 と、店主。まだ若く、二十代半ばといったところか。店名が入った黒いTシャツに白い鉢巻が似合う好青年だった。彼が店の主であることは、写真つきの営業許可証が物語っている。
 アレッサはカウンターに置いてあるセルフサービスの水をコップになみなみと注いで私に寄越し、壁のメニューをじっと見ていた。私もそれに倣い、腹具合と相談してチャーシューメンを注文した。
「はい、チャーシュー一丁ですね。そちらは?」
「えーっとね、激辛キムチチャーシューメンのレベル五、角煮、モヤシ追加、それとギョウザ二人前と、おにぎり。梅で」
 メニューから目を離さずにすらすらと言って、ちらりと店主を見るアレッサ。
「はい。おにぎりは温めますか?」
「いや、『焼き』でお願い」
「はい」
 焼き、という注文に、彼が小さく笑ったのを私は見逃さなかった。
「以上で」
 と言ったアレッサは相変わらずメニューを見ていた。
 なんなのだろう。
「アレッサ、以前にもここへ来たことがあるのか?」
「ん、無いけど。なんで?」
「あまりにも慣れているようなのでな。少し気になっただけだ」
「あー、事前にいろいろ聞いてるからね。例えば……」
 アレッサはカウンターに置かれていた薬味入れを手に取り、蓋を開けた。中には刻んだ赤唐辛子とゴマで和えた刻みニラが入っていた。
「こいつを目一杯ラーメンに入れると美味しいとか、激辛キムチラーメンはレベル五でないと足りない、とかね。あと、ギョウザは食べとかないと損だってね」
「ふむ……先ほどの『焼き』というのもそうなのか。メニューには無いようだが」
「そ。なんつーかね、常連のみが知る裏メニューってやつさ」
 ふふん、と得意げに口の端を吊り上げたアレッサは、隅に置かれている小型テレビに視線を移した。それ以上は何も言うことが無いらしく、少し汚れたブラウン管に映る野球中継をじっと見ている。
 私は同じようにしばらくテレビを見ていたが、熱い鉄板に油が弾ける音で厨房に目を向けた。店主がギョウザを焼き始めたようだ。店主が冷蔵庫から取り出したアルミのトレイに並んでいるギョウザは、どうやら手作りらしく一つ一つ形が微妙に異なっていた。それを綺麗に鉄板に並べ、蓋をしてしばらく待つ。その間にラーメン鉢をお湯で温め、醤油ベースらしきタレを少量注ぎ、大きな寸胴鍋で煮立った白く濁ったスープを網で漉しながら注いだ。網に残った白い塊をみるに、とんこつのスープなのだろう。私はあまり濃いとんこつは好きではないのだが……
「大丈夫さ。ここのはそれほど重くない」
 考えていることが読まれたか、アレッサはぽつりと呟いた。
 スープを作ったところで、店の主は鉄板に乗せていた蓋を取り、ギョウザの焼き具合を確かめてから水差しの水を鉄板に注いで再び蓋をした。水が熱された鉄板で瞬時に蒸発し、油とともに弾ける甲高い音が耳朶を叩く。それと同時に香ばしい匂いが店内に立ち込めた。その十数秒後、焼きあがったギョウザは皿に盛りつけられ、カウンターへ運ばれた。
「ギョウザ二人前、お待ち。熱いので気をつけてくださいね」
 店主は人懐こい笑顔で言って、麺を茹でている寸胴鍋の前に戻った。アレッサは待ってましたと言わんばかりに割り箸を割って、タレをつけずに熱々のギョウザを一つ口に放り込んだ。さすがのアレッサでも焼きたては熱かったか、目を白黒させながらそれを飲み下した。そして開口一番、
「美味い」
 と満面の笑みを浮かべ、私に勧めてきた。そのための『二人前』だったのだろうか。
 大抵のギョウザは焼く際に隣同士でくっついて、切り離すときに皮が破れたりしてみっともないものだが、これに関しては杞憂だった。皮は具が透けて見えるほど薄いが、案外しっかりしているらしい。
 アレッサに倣ってタレをつけずに一口齧る。その途端に熱い肉汁が流れ出してきた。アレッサを見て警戒していたおかげで火傷はせずに済んだが、これは熱い。
 ひき肉とニラの風味だけという、非常にすっきりとしたシンプルな具だ。しかし味は相当に奥深い。
「……ニンニクは、入っていないのだな」
「それが特徴なんだよ。ニンニクが要るならこっちだ」
 アレッサはカウンターに積まれた小皿に黒褐色のタレとラー油を取り、そこにすりおろしたニンニクを少量入れた。なるほど、タレにつけるのか。
 しかし、このシンプルな味にタレをつけると台無しになるんじゃないだろうか。
 そう思いながらも、試しにとタレをつけてみた。
「……なるほど」
 タレは見た目ほど濃くないようだ。自身を主張せず、あくまでもギョウザの味を引き立てるための調味料という域を脱していない。このタレも自家製なのか。
 焼き立てであることを差っ引いても、確かに美味い。
「ここでギョウザを食べなければ損だ、とはよく言ったものだ」
「だろ?」
 嬉しそうに言うアレッサの皿を見ると、綺麗さっぱり、ギョウザは消えていた。
「激辛レベル五とチャーシュー、お待ち」
 私の皿から半分のギョウザがなくなった頃、ラーメンが出来上がってきた。とんこつの特徴である白っぽいスープにやや細めのちぢれ麺、十数枚のチャーシューに、一センチ程度に切った海苔がぱらぱらと乗せてある。チャーシューに埋もれてナルトも入っている。一般的にとんこつのにおい消しに使われる紅生姜は入っていないが、とんこつ臭さは全く無い。レンゲでスープを一口すすってみると、アレッサが言ったとおり、それほど味が重くなくさっぱりとしていた。こってりしたとんこつで食べたいという客はどうするのだろう、と他人事ながら思ってしまった。
 アレッサの鉢を見ると、山盛りもやしと山盛りキムチ、山盛りチャーシュー(今気づいたが、薄切りチャーシューではなく角煮チャーシューが乗っている。どうやら注文時にどちらかを選択できるようだ)スープは唐辛子で真っ赤というハイレベルな仕様になっていた。私にはあれを完食する自信が無い。
「いただきまーす」
 果敢にも(と私は表現する)真っ赤なラーメンに突撃するアレッサを横目に、麺をひとすすり。
 ほう、と無意識にうなずいていた。
 上手く表現できないが、スープと麺のバランスが絶妙だ。この取り合わせでなければこのバランスは出せまい。今まで食べたラーメンの中ではトップクラスに入るだろう。
「ディア、半分ほど食べたらコレを入れてみ。たっぷり、な」
 と、アレッサが例のニラ唐辛子の小瓶を差し出してきた。先ほど見たときよりも随分減っている……と思ったら、その分がすでにアレッサの鉢に盛られていた。いくら使用自由と言っても限度というものがあろうに。
 とりあえず備え付けの匙で二盛りほどニラを入れると、ふわり、とニラの特徴ある匂いが立ち昇った。苦手な人には嫌な青臭さだろうが、好きな人には食欲をそそる香りだ。それを麺に絡め、一緒にすすりこむ。
 若干ではあるが、味が変わった。とんこつスープがよりらしくなった、と言うべきか。独特のとんこつの風味がこのニラ唐辛子で増幅された感じだ。
 と言っても大幅にスープが変わったわけではなく、すっきりとした感は失われていない。わりと麺が多め(後でアレッサに聞いたところ、一玉半がこの店では普通だそうだ)で、シンプルなスープでは人によって途中で飽きることもあろうが、このニラを途中で使えばその心配はなさそうだ。上手く考えてある。
「はい。梅の『焼き』、お待ち」
「おー、待ってましたー」
 私の鉢から麺が無くなりそうになった頃、ようやくといった感でおにぎりが出てきた。小皿に乗せられた二つの三角おむすびには海苔は巻かれておらず、表面に茶褐色の焦げが付いていた。『焼き』とは焼きおにぎりのことだったのか。
「一つ食べてみるかい?」
 そう言ってアレッサは新しい小皿に取り分けた『焼き』を私の前に置いた。
 程よく焦げた醤油の香ばしい香りがなんとも食欲をそそる。ギョウザ一人前とラーメンを詰め込んだはずの胃袋が空っぽになったような気さえする。単に醤油を塗った梅干し入りおにぎりをトースターで焼いただけ、なのだが、この香ばしさは悪魔的に魅了する力を秘めているようだ。
 箸で半分に割って、火傷に気を付けて食べる。
 至って普通の焼きおにぎり。
 しかし、「普通の焼きおにぎり」がそれだけで十分に美味いというから、全くもって罪な存在である。中身の具を梅にしたアレッサの選択も正鵠を射ている。このさっぱりした梅干しの風味は、油っぽいギョウザやラーメンを食べた後の「締め」にはもってこいだと言わざるを得ない。
 これは「どこまでも普通である」というこの上ない絶品だ。
「なぁ、ディア。帰りの運転、代わってくれないか?」
 早くも焼きおにぎりだけでなく真っ赤なラーメンも完食したアレッサは、まだ何か食べるつもりなのか、メニューを見ながら言った。その視線はある一点で止まっている。
「何を言いたいのかはおおよそわかるが、一応訊く。どうしてだ?」
「ビール飲みたい」
 そう言うと思っていたが、本当に言うとは。
「まだ、勤務時間内だ」
「やだやだ、飲みたい飲みたい。この美味しいギョウザでビールを飲むのは最高だと思わんかね?」
「……ギョウザも追加するつもりか」
「うん。ジャンケンの権利をディアにあげるからさー。ね?」
「ジャンケン?」
 何の話だ? とアレッサに問うよりも先に、
「ラーメンを二杯注文いただいたお客様と僕がジャンケンをして、お客様が勝ったらギョウザ一人前無料券を進呈するというサービスを行っているんです」
 と、店主。
「頑張れ、ディア。じゃーんけーん……」
 アレッサの合図でなし崩しにジャンケンすることになった。とっさのことで何も考えずにグーを出してしまったが、店主はチョキだった。
「おめでとうございます。無料券を進呈します」
 笑顔でそう言って、店主は名刺くらいの大きさの赤い紙を差し出した。そこにはギョウザ一人前無料引換券と書かれている。
「やったじゃん、ディア。というわけでおにーさん、ギョウザとビール追加ね。この分のギョウザは今もらった無料券が使えるの?」
「すみません、今回分は無理なんですよ。次にお越しいただければご使用いただけます」
「そっか。じゃあしょうがないね」
 受け取った赤い紙片を見ていると、アレッサは勝手に追加注文を出していた。ジャンケンの権利を無理矢理受け取らされた時点で取引は成立してしまったようだ。
「一杯だけだからな。それ以上はメイド長が許さんだろう」
「イエッサー」
 ニヤリと笑って、アレッサは大袈裟に敬礼をしてみせた。
 まぁ、アレッサのおかげでこれだけ美味いと思える夕餉に出会えたことを考えると、この程度のワガママは許してやらねばなるまい。



 ……パスケースに入っていたのは、その時の引換券だ。有効期限はすでに過ぎていて、今これを持って行っても無駄だろう。
 あれからかなり経つが、あのラーメン屋にはあれ以来一度も行っていない。
 そういえば、あの店をアレッサに教えた人物のことも聞いていないことに気づいた。
 工房に着いたらアレッサにその人物のことを聞いて、また行ってみないかと誘ってみてもいいのではないか。
 出勤する道すがら、そう思った。







 文章で食べ物の味を表現するのって難しい。
 それを痛感しました。

 ちなみにモデルになってるラーメン屋さんはすでに廃業してるそうです。
 結構気に入っていた店なんですが、残念です…

 
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