2015/05/29

短編小説『十円玉は知っている』 後編

 10円玉ひとつで出会ってしまった彼女とメイド。
 深夜の街に漂う不穏な空気。
 彼女に向けられた銃口は、暗く冷たく――


 ……というわけで変な文章てんこ盛りな後編です。
 というか内容とタイトルがかみ合ってない気がしてならない。
 ……まぁいいや(笑
 前編を未読の方は、コチラからどうぞ。
 もうちょっとマシな文章を書けるようになりたいです。



【注】この作品はフィクションです。登場する人物・名称等は現実のものと一切関係ありません。

 


 カチン。
 随分間の抜けた小さな金属音がして――それきり何も起きなかった。火薬が爆ぜ、鉛弾をぶっ飛ばし、轟音とともに彼女の紅い瞳が穿ち焼かれ、暗いアスファルトにどす黒い赤が広がる――そんな光景は待てど暮らせど訪れることはなかった。
「あー、しまった。タマ込めるの忘れてたわ。残念だったな」
「…………」
 メイドはわざとらしいセリフを棒読みしながら銃を仕舞った。てっきり弾薬を込め直して撃つのかと思っていた彼女はその行動に抗議する。
「何をしているんですか。撃たないんですか?」
「ふざけんな。あたしゃ死にたがりを撃つ趣味はないんだよ。ここじゃ手に入れるのも一苦労する貴重な弾薬を使ってまで、なんでそんなクソふざけた願いをわざわざ叶えてやらなきゃならねェんだよ。それにあたしの弾は単価が高ェんだ。死にたがりの安い命と三百万ぽっちの報酬でやってられるか、アホらしい」
 やれやれ、と大袈裟にため息をついて、メイドはあからさまに不機嫌そうに目を細めた。彼女はそんなメイドをぽかんとした顔で見ている。
「あーあ、負けた負けた。……帰って寝よ……」
 ガリガリ頭を掻いて、彼女に興味をなくしたとばかりにくるりと振り返って歩き出した。
「……ええと。お金はいいんですか?」
「要らねぇ。勝負はテメェの勝ちだ。ちょっと脅せば吐き出すと思ったあたしの負けさ。まさか死にたがりだったとは予想外だ、クソ、つまんねェ。……あー、そのカネはテメェで勝手に使えよ」
「はあ、それはどうも。でもいいんですか?」
「何度も言わせんな。そもそもウチの件はオッサンが払うのが本来のスジってもんだし、締め上げて無理にでも払わせるさ。それが面倒だから先にアンタに頼みに来ただけだ。儲けは減るが損はしねェ、面倒事を回避するための経費だと思えば払うかも、なんて甘ったるい考えをしてたもんでな。まさかテメェにあんな下らなくも頑固なマイルールがあるなんて思いもしなかった。いやはや、読みも考えもバケツいっぱいの人工甘味料だったな」
 けらけらと自嘲気味に笑い、メイドはひらひらと手を振った。もう関わらない、どこへでも好きに去れ、と言うかのように。
「……さて、どうやってオッサンから回収するかな。無茶やると雇い主に怒られるし……いや、あんなヘタレに怒られても効きゃしないけど、メイド長はなぁ……」
 そしてぶつぶつと文句を吐きつつ、メイドはさっさとその場を離れていく。
「雇い主……?」
 何とはなしに聞こえたその言葉を呟くと、メイドが立ち止まって振り返った。
「あー。あたしゃ雇われメイドなもんでな。他にも四人、メイドがいる」
「え? 先ほど三十万は給料だと仰いましたよね? 三十万を四人で分けるんですか? 高校生のバイトのほうがマシな金額じゃないですか」
「ほっとけ。ウチはそういうトコなんだよ。笑うんじゃねェ」
「失礼。し、しかし……」
 この美しくも恐ろしいメイドがどんな高給で働いているのかと思えば、高校生のアルバイトにも満たない金額とは、さすがの彼女も笑わずにはいられなかった。
「あなたの雇い主は一体どんな人なんですか」
「そうだな……アレはハッキリ言って無能だ。バカでブサイクで甲斐性なしでお人好しでヒキコモリで仕事もできない将来性皆無なマヌケ男だな。給料未払いとか普通にあるし」
「ぷっ……あっははははは」
 雇い主に対するものとは思えないほど酷い評価をすらすらと並べたメイドの言葉を聞いて、彼女はたまらず腹を抱えて笑ってしまった。
「な、なんですかその人……なんでそんな人にあなたのような方が使われてるんですか」
「確かにそう言われても仕方ないくらい、アレはどうしようもない変人だよ。けどな……」
「?」
「あのヘタレは、あたしみたいな半端者でも凄く大事にしてくれるんだ」
 そう言ったメイドの表情からは、先ほど感じた険しさがすっかり消えていた。その『雇い主』を思い出したためにそうなったのだろうということは、人を観察する事に長けた彼女でなくともわかるほどだった。
「だからあたしはあの男についていく。カネは関係ねェ。アレと一緒だと面白そうだしな」
「…………」
「面白いってのは大事なことなんだよ、あたしにとってはね」
 へへ、と嬉しそうに笑うメイドを気持ち悪そうに見つめ、彼女は絶句していた。
 このメイドと雇い主の関係は一体なんなのだろうか。金銭以外で繋がる人間関係など、この欺瞞と裏切りで満ちた世界で這いつくばって生きてきた彼女にしてみれば『偽り』か『ごっこ遊び』でしかない。気持ちで繋がる信頼など、脆く不確かなものでしかない。利害関係こそが人間を繋ぐ――そう信じてきたし、今まで間違っていなかった。
 それがどうだ。目の前の金髪メイドはとんでもない力を持っているのに、それを取るに足らない『ヘタレ男』のために出し惜しみなく使っている。不釣合いも甚だしい関係を、『信頼』などという下らない感情で保っているのだ。
 そんな人間がいるなんて信じられない。バカとしか言いようがない。
「ひょっとしてあなたがいるところはバカの集まりなんですか?」
「……おいコラ。言葉に気をつけろよ。せっかく拾った命を無駄にするんじゃねェよ」
 つい思ったことを口にしてしまった彼女。メイドは露骨に怒りを露にして目じりを吊り上げた。数メートル離れているのに、喉元に刃物を突きつけられているかのような強烈な殺気が彼女を震え上がらせる。
 しかし彼女の言葉は止まらない。ここで殺気に飲まれて黙ってしまったら、彼女の信念が全て間違っていたと認めることになるようで、意地でも止めることはできなかった。
 先ほど一度は諦めた命である。意地を張る代償に差し出すには安くなり過ぎて、バーゲンセールでもやれるくらいの気持ちだった。
「だってそうでしょう? いくらでも高給を取れる能力がありながら『信頼』なんてゴミの役にも立たないものでいいように使われるなんてバカげています」
「黙れ。あたしが何をしようとテメェに関係ねェ」
「いいえ、言わせてもらいます。あなたも、あなたの仲間も、あなたの雇い主も、ただのバカです。友情ごっこで陶酔しているだけです。信頼なんて、人を誘惑し、用が済んだら裏切るための方便でしかありません」
「……ちっ」
 小さく舌打ちして、メイドはゆるりと彼女に向き直った。そして一歩踏み出したかと思うと、閃光のごとく一呼吸する間もなく間合いを詰めた。咄嗟のことに動けない彼女はのどを右手で掴まれてそのまま地面に押し倒され、受身も取れずに背中から地面に叩きつけられる。肺の空気が一気に抜けて意識が一瞬飛び、遅れて鈍い痛みが彼女の全身を襲う。
「黙れ、と言ったのがわからねェか?」
 万物を凍てつかせるほど冷たいメイドの声。そして、再び向けられる銃口。馬乗りになったメイドの瞳は澄んだ殺気に満ちていて、先ほど向けられたものよりもずっと純粋で鋭利だった。芝居で放って見せたものではない、心底から湧き上がる息苦しいほどの殺気。
 彼女の意識が痺れてしまっているのは、叩きつけられた衝撃か、この死を臭わせる威圧感のせいか――
「……あなたの弾の単価は高いんじゃなかったんですか?」
「テメェはあたしの一等大事なものをバカにした。その代償は高いんだよ」
「ご自分でバカにしていたではありませんか。それを他人に言われると怒るんですか?」
「雇い主はともかく、あたしは仲間をバカにしたことはないんだよ。だがテメェは仲間まで笑いものにしやがった。それが最ッ高に許せねェんだ。あたしの勝手な都合で悪いけどな」
「…………そうですか。それは申し訳ないことを」
「遅ェよ今更。右目を撃ち抜いてほしいんだったな? お望みどおり、やってやるよ」
 にぃ、と場違いに笑って、メイドは銃のスライドを引いた。今度こそ確実に弾薬が送り込まれ、トリガーを引けば灼熱した鉛が彼女の瞳を穿つだろう。
「どうぞ。いつでも、お好きに」
 死を目前にしても彼女は折れなかった。この生活を始めてから、彼女は信念一つで自身を支えてきた。彼女が信じるのは、金の力。それ以外は無力である――と。
 その信念を否定することは、自身の死と同義だった。生きている意味を失って動く死体に成り下がってしまうことと同じだった。
 意地を張って殺されるか、自分で自分を殺すか。
 同じ死ぬなら、自分の信念を貫いて死ぬ方がいい。それが『信頼』などという下らないものを崇めているメイドに対するせめてもの抵抗だった。
「…………」
 メイドはじっと、彼女を見つめたまま動かない。彼女は地面に倒されて乱れた長い前髪の隙間から、何より忌み嫌っている紅と緑の両の瞳でそれを見つめ返している。
 ――静寂――
「どうしました? 撃たないんですか?」
「いや……お前、その目……」
 メイドの気配に動揺が混じり始めた。銃を向けた右目の紅に驚きを隠せず、表情が強張っていた。
「気持ち悪いでしょう。私もそう思います。この目のせいで、私の人生は目茶苦茶だったんです」
「…………」
「だから、私の人生を終わらせるときは、これを壊す必要があるんです。私が死んでこの目が無傷だなんて、考えただけでも腹が立ちます。さあ、早く!」
 悲鳴のような声を上げ、彼女は撃てと要求した。
 諦めではない。むしろ逆だった。その紅い瞳を壊さずには終われないという、足掻きの咆哮。
 メイドはしばし黙し――
「アンタに会わせたいやつがいる」
 そう言って銃を引いた。彼女の上から降り、その手を引いて立たせ、改めてミルクティー色の長い前髪を手で払って色違いの両目をまじまじと見つめた。
「……あの」
 急なメイドの心変わりにどうしていいかわからず戸惑っていると、メイドは小さな紙片を彼女の手に握らせた。凍てつくような殺気はもうすでに無く、むしろ友人と接しているような遠慮の無い態度だった。
「明日の午後二時、この住所に来てくれ」
「どう、して、……私があなたの言うこと、を、聞かなくてはならないんですか」
 開放されても尚残る圧力に声が上手く出せない。意識はどうあれ、身体は死を望んでいなかったのだろう、震えが出て止まらなくなっていた。
「別に、強制はしない。ただ、アンタの価値観を引っくり返すやつに会わせてやろうと思っただけさ」
「……?」
「ま、好きにすりゃいい。じゃあな」
「あ……」
 言いたいことを言って、現れたときと同じようにメイドは街の暗がりに消えて行った。
「…………」
 一体何なんだ。
 その一言だけが、彼女の中にいつまでも反響していた。


「……ここ、で合ってるんでしょうかね……」
 メイドが指定した場所にやってきた彼女は、目の前にある建物を門の外からまじまじと見つめた。何の変哲もない一戸建ての洋館で、田舎町であることを差っ引いてもそれなりに広い敷地だった。門には表札の類はなく、誰の家なのかはわからない。
(価値観をひっくり返す、か……)
 実のところ、この誘いは無視して他所へ移動するつもりだった。あからさまに怪しいし、言われたとおりにする義理もない。メイドも強制しないと言っていた。
 それなのに、彼女はここへやってきた。
 理由は――直感がうるさいほど鳴らしていた「関わるな」「逃げろ」という警鐘が、綺麗さっぱり消え去っているからだ。何度となく彼女を救ってきた直感が沈黙してしまう、その原因を知りたい――そう思ったら、足が勝手にここへ向かっていたのだった。
「…………」
 ぴん、と右手に握っていた硬貨を親指で弾いて、宙を舞うそれが落ちてきたところを受け止める。
「あたしゃ表だ」
「では私は裏です」
 答えて彼女が手を開くと、十円玉の裏が見えていた。やっぱり勝てないか、と昨晩会ったメイドが可笑しそうに声を上げた。
「きっと来ると思ってた」
「勘違いしないでください。私はあなたに昨晩お借りした十円を返しに来ただけです。貸しを作るのは好きですが、借りを作るのは大嫌いなので」
「は、別に理由なんかどうでもいいさ。ついて来な」
 言ってメイドはさっさとアプローチを行き、玄関をくぐった。一般的な個人宅ではないのか、無闇に広いエントランスホールが広がっていて、彼女はその規模に少々驚いた。ホールの突き当たりに両開きのドアがあり、メイドがそれを開くと彼女に入れと手招きした。ドアには『応接室』と書かれている。
「ようこそおいでくださいました。どうぞ、おかけください」
 応接室に一歩足を踏み入れると、上座のソファに座っているメガネの男の後ろに控えていた女が彼女に席を勧めた。
「……どうも」
 軽く頭を下げ、彼女は勧められるままに手近なソファに腰を下ろした。室内にはメガネの男と挨拶したメイド姿の女がいるだけだった。金髪のメイドは入口の柱に背を預けて彼女を見ている。
 ソファの後ろの女は少し紫がかった銀髪をポニーテールにした美人で、彼女を見つめるその瞳は彼女の右目と同じような紅色をしていた。
(この人は確か……)
 何となく銀髪メイドに見覚えがあるが、どこで見たのかは思い出せない。
「大丈夫だよ、別にアンタを取って食おうとは思っちゃいない」
 彼女が警戒して難しい顔をしていると思ったのか、金髪メイドがけらけら笑って場を和ませた。
「こいつが昨日話したあたしの『雇い主』さ。後ろはあたしの上司。雇い主をアンタに会わせたくてね」 
「はあ、そうですか」
 言われて、改めて男を観察する。三十手前くらいの年齢で、髪型は適当で服はよれたシャツを着慣れているところからして、見た目に頓着しないタイプのようだった。他人の視線からすぐに目をそむける仕草から、人と接するのが苦手で、初対面ではほぼ何も喋れないコミュニケーション能力が著しく低い性格が読み取れた。確かにヘタレ男ですね、と心の中で笑う。
 しかし、この男が金髪メイドを心酔させていると思うと、なんだか不気味な感じもした。
「それで、私を呼び出したご用件は?」
「ああ、うん、えっと……」
 じっと睨みつけるようにすると、男はしどろもどろになって視線を泳がせた。このタイプの人間は初めに威圧しておくとペースを乱すので翻弄しやすいのだ。
 男は視線を逸らしたまま、しばしセリフを練るようにぶつぶつと呟いてから、おずおずと彼女に向き合った。
「その、もしよかったらだけど、少しだけ前髪を上げてくれないかな」
「……はい?」
 予想外の一言に、彼女は思わず間の抜けた声を上げた。
 てっきり「三十万返せ」だの「ウチをバカにしやがってこの野郎」だのと文句を言われると予想していたのに、まるっきり違う言葉を聞かされて調子が狂ってしまった。
「どういうつもりです?」
「ああ、うん。彼女から君の話を聞いてね。目を見てみたいなと」
 男は質問に対してドアの側に立つ金髪メイドを指して、そんなことを言った。質問が唐突過ぎる上に意図がさっぱりわからない。何か裏があるのだろうかと男をじっと長い前髪の奥から見るが、睨まれていることに気づいた男にさっと顔を逸らされるだけで掴みどころがなかった。
「…………」
 目を見たいと言っておきながら、見つめ返されると目をそらす。この男はいったい何がしたいのだろうか。
 どうしたものやら困ってしまい、彼女は金髪メイドを見た。金髪メイドは意地の悪い笑みを浮かべつつ、見せてやれよと顎で合図する。
 まったくもってどうしたものかと思案し、考えたところで意味はないという結論にため息をついて、彼女は前髪を上げた。これで男が驚いたり気持ち悪がったりしたら、さっさと席を立って帰ろうと決めての行動だった。
「これでいいで……」
「うん、採用だ」
「は?」
 投げやりな彼女とは対照的に、男は満足げな表情をしていた。何の話だ、翻訳してくれと再び金髪メイドに視線を向ける。
「アンタをここで雇いたい、って言ってんのさ」
「私を……? どうして?」
「そんなの決まっている、君が素晴らしい人材だからさ!」
 男は興奮しながら言った。どこにエキサイトする要素があったのだろうかと彼女は首を傾げる。
「素晴らしい? あなたは私の何をご存知なのです? 履歴書をお渡しした覚えはありませんが」
「裏世界を生き抜いた凄腕ギャンブラーでヘテロクロミアってだけで十分なんだよ。とても個性的で素晴らしい! これはもう、雇うしかないじゃないか!」
「…………」
 何を言っているんだこの男は? と彼女はドン引きしながら眉間にシワを寄せた。
 今までの人生の中で、この色違いの瞳を「素晴らしい」などと言った人間が妹以外にいただろうか。日本に来て育ててくれた祖母や高校時代にできた親友たちはそれを受け入れてくれていたが、彼女が気に病まないようにと極力触れないように気を使っていた。それ以外の人間はあからさまに忌避した。
 なのにこの男は、初対面でその瞳の色を諸手を挙げて絶賛したのだ。変人にも程がある。
「な、変なやつだろ? こんなのと働いたら面白いと思わないか?」
「…………」
 金髪メイドはウインクしながらそう言った。
 確かに一風変わった男である。今までに会ったことのないタイプだ。未知であるがゆえに、金髪が言っていた『信頼』なんてもので繋がる事ができるのかもしれないと思わされる程度の面白さはある。
 しかし、だからと言って雇われるというのはどうだろう。意味不明すぎる。
「私を雇いたいなどと、正気ですか?」
「もちろん。今なら雇用特典でアパートの一室を家具付きで用意するよ。住所不定なんだって?」
「そちらの金髪のメイドさんがおっしゃってましたが、お給料が安いんですよね?」
「家賃は格安! ……ボロいからだけど」
「お給料の未払いもあるそうじゃないですか」
「ここでは昼夕の二食、まかないご飯付き。さあどうだ?」
「お給料、安いんですよね?」
「制服も支給するよ。メイド服だけど」
「や・す・い・ん・で・す・よ・ね?」
「…………」
 彼女の執拗な確認念押しに折れたか、男は顔を顰めて黙ってしまい、やがて諦めたようにこくりとうなずいた。ここは意地でも折れずに説得すべきところなのに、耐え切れずあっさり陥落するとは、交渉には向かない性格のようだ。心底困った顔で銀髪のメイドに助けを求めると、銀髪が小首を傾げて仕方ないですねと呟く。その反応に男はがっくりと肩を落とした。
(……さて、どうしようか)
 若干ではあるが、雇われることに興味が湧いてきた。安住の居場所を得られるということもあるが、金髪メイドが安月給を承知で働いている理由が少し見えた気がしたのだ。
 この主という男は確かに『面白い』。空腹を満たすためだけに生きてきた彼女に、別の生きる動機を見出させるだけの何かを秘めている――そんな予感がした。
 そしてもう一つ。
 男の後ろに控えている銀髪のメイド。
 彼女の記憶が確かなら、この人は――
「わかりました。ここで働かせてください」
「……え? ほんと? 給料安いよ? メイド服だよ?」
 彼女の言葉に男は動きを止めて、目をまん丸にして問い返した。
「はい、問題ありません。よろしくお願いします」
 改めてうなずくと、男の表情がぱっと明るくなり、小さな子供のような笑顔を見せた。
「こちらこそよろしく。そうと決まればヴィアーチェ、書類を! 気が変わる前にサインを頂くんだ!」
「はい、ただいま」
 まるで悪徳業者のような主の言葉に応え、銀髪メイドが書類を差し出した。雇用契約書のようなものだろうか、数枚の書類に細かい字が何十行と並んでおり、最後にサインを書くスペースがあった。
「……と、自己紹介がまだだったね」
 言って男は襟を正すように背筋を伸ばし、メガネを指で押し上げた。
「私は南村ともみ。この工房の主だ。そして――」
 後ろに控える銀髪メイドを指す。銀髪は一礼してから、
「八重崎ヴィアーチェ・シルヴァライネンと申します。工房メイド長を任されております」
 と丁寧に自己紹介した。
 やはり――と彼女は内心で思った。
 銀髪メイドは、かの巨大企業体、八重崎グループの人間である。ここで働けばその力にあやかれる――そう思ったことが決心の大きな要因だった。要は『カネの匂いを嗅ぎ付けた』のだ。
「そっちの金髪はアレッサ。工房の警備担当。元傭兵だから腕っ節は強いよ。その他にメイドはもう二人いて……ああ、ちょうど来たよ」
 部屋の入口に人の足音が聞こえ、彼女が振り返ると、そこにはやはりメイド姿の女が二人立っていた。
 一人は長身でアッシュブラウンの髪をした鉄仮面のような無表情のメイド。肩から身の丈ほどの長剣を携えていて、油断のない目で彼女をじっと見ていた。
 もう一人は長い黒髪でメガネをかけた、可愛らしいメイドだった。真っ黒で碁石のような真ん丸の瞳で彼女を興味深そうに見ていたが、すぐに人懐こい笑顔を浮かべて歩み寄り、ぺこりとお辞儀した。
「メイリンです。お料理とお掃除担当です。よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ」
 黒髪がえへへ、と嬉しそうに笑うと、アレッサが意外そうな顔をした。
「驚いたな。メイが初対面でそこまでフレンドリーに接することは滅多にないんだ。アンタ、いいやつなんだな」
「は? 私がですか?」
「メイの人を見る目は間違いないんだよ。少なくともメイや工房に害を為すやつじゃないってことだ。喜んでいいぞ」
「はぁ、そうですか」
 この子犬のようなメガネメイドの笑顔に中てられて笑んでしまったが、そんな風に見られると気持ちが酷く落ち着かなくなる。無垢というか天然というか、人間の黒い部分ばかり見てきた目には真っ白すぎて眩しいほどだった。
「私は五十鈴川紗織。工房の警備と洗濯を任されている。皆からは『クローディア』と呼ばれている。よろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
 動揺しているところに長身の帯剣メイドの丁寧な挨拶で釣られ、つい丁寧な挨拶を返してしまった。
(なんですか、ここは……この私がペースをこんなに乱されるなんて)
 変人のヘタレ男と、変わり者のメイドたち。
 何の変哲も無い普通の男、元傭兵のメイド、超が付くお嬢様のメイド(しかも銀髪紅眼)、黒髪メガネの美少女メイド、長剣を持ち歩く無表情な剣士のメイド。
 この強烈な個性の渦中にいると、両目の色が左右で違うとか、裏世界で生きてきたとか、そんなことがごくごく『普通』のことに思えてしまう。
(……そう思ってしまった時点で、私はもう彼らの『同類』なのかも……)
 差し出された書類を手に取り、いろいろとツッコミを入れたくなる項目や規則を内心で笑いながら読み通して――
「あー、そういえば。一つ訊きたいことがあるんだが、いいか?」
 彼女がサインをしようとペンを握ったその時、金髪のメイド――アレッサが唐突に言った。
「何か?」
「アンタさぁ、なんであんな生活してたんだ? 女が一人無頼で命がけのギャンブル生活とか、あんまり聞かない話だし。身内とか友達とかいないのか?」
「アレッサ、そういう話は無しだよ。ここでは」
「いや、ちょっと気になっただけで無理に過去を穿る気はないんだ。すまん、忘れてくれ」
 工房主に窘められ、アレッサは頭を掻きながら謝った。
 普通は雇う人間の素性をはっきりさせておくものだというのに、この男はそれをまったく気にしていなかった。まるっきりそれぞれの直感だけで仲間にする人間を判断していて、後のことなどまったく考慮されていなくて――それが普通ではなくて、大変面白い。
「身内はもう、いません。友達は……親友と呼べる人が三人います」
 彼女は話してもいいと思い、少しだけ語った。お、乗ってきた、とアレッサが呟く。
「じゃあ裏に身を落とす前に、どうしてその三人を頼らなかったんだ? 堅気なんだろ?」
「堅気だからこそ、ですよ。彼女らは何があっても私の力になってくれます。でも、当時はまだみんな学生で、私を助けられるだけの力はありませんでした。だから私は、彼女らに迷惑をかけないように、黙って姿を消して、一人であの世界に」
「……ぷっ、だぁっはっはっはっはっはっは! こいつは笑える、メジャー級のバカ野郎だ!」
「なっ……!」
 彼女が真面目な話をしているのにアレッサは急に大笑いし、腹を抱えて床を転がり回った。その態度に彼女の怒りが爆発する。
「何なんですか! 真面目な話をしているのに大笑いするなんて! 非常識にも程がありますよ!」
「そうだぞアレッサ。今のは笑い話じゃ……」
「笑い話さ、間違いなく。これで笑わないのは、ジョークがわからないディアくらいのもんさ」
「どういうことだ?」
 自分を引き合いに出されて怪訝な顔をしたクローディアはその真意を問う。アレッサは痙攣する腹筋を抑えつけるのに数秒を要した後、はふ、と深呼吸した。
「こいつはな、人と人の『信頼』なんて何の役にも立たねェゴミだって言ったんだよ」
「それがどうしました? その通りじゃないですか。私は今までイヤと言うほど見てきましたよ」
「は、まだ気づかねェか? アンタは親友を巻き込みたくないっつって身を引いたんだろうが。親友たちは必ず助けようとするから迷惑がかかるって」
「ええ。それが?」
 アレッサが何を考えているのか、それを早く言えとばかりに促す彼女。
 金髪メイドは心底バカにした顔で、ぽつりと。
「それって『信頼』じゃね?」
「…………」
 その一言で、しん、と時間が止まってしまったかのように静まり返った。
 ただ一人、空気も雰囲気もお構い無しに笑い倒すはアレッサ。
「下らねェっつって放り投げたもんを一番大事に持ってやがったのがアンタなんだよ。これが笑わずにいられるかって! だっはっはっはっはっは!」
「…………」
 好き放題言われて言い返しもできず、顔を真っ赤にして肩を震わせる彼女。
「つーわけで」
 その彼女の頭をぽふぽふと撫でて、アレッサは笑うのをやめて真面目な顔で彼女を見つめる。
「アンタが大事に持ってた『信頼』、あたしらにも分けてくんねーかな」
「……は?」
「そいつにサインして、仲間になってくれってことだよ」
「…………」
 とんとん、と書類の記名欄を指差して、アレッサはにんまりと笑った。先ほどのバカにした笑顔ではなく、嬉しいときに浮かぶような気持ちのいい笑みだった。
 彼女はそんな金髪メイドを睨みつけて、深いため息をついた。
「……ムカつく女ですね、あなたは……」
 ペンの蓋を外し、がりがりと書類に名前を書き込んで。
「これから先、絶対にこのお返しはさせていただきますので。私は――」
「貸しを作るのは好きだが借りを作るのは大嫌い、だったな」
「そうです。覚悟してくださいね」
「おう。楽しみにしてる」
 アレッサと彼女は互いに笑い合った。
 工房主も他の工房メイドも、笑っていた。


「ところで、君の事はなんと呼べばいいかな?」
 工房主が書類を確かめてヴィアーチェに渡し、彼女と正対して訊いた。そう言えば自己紹介をしていなかったなと思い出したが、改めてするのも今更な気がした。
「そこにサインしたじゃないですか」
「いや、その、達筆すぎて読めなかったもので」
「…………」
 長い前髪に隠れた彼女の表情が明らかに動いたのがわかった。あはは、と工房主から乾いた笑いが漏れる。
 もっとも、筆跡と本名を隠す意味でわざと読めないように崩して書いたのだから、工房主の反応は至極当たり前のものである。うっかり習慣で警戒してしまっていたが、もう必要ないのだと思い直す。
「そうですね、では――」
 姿勢を正し、真っ直ぐ工房主と向き合って、彼女はにっこりと微笑んだ。


「私のことは『ローナ』とお呼び下さい。工房主様――」




 ――これが、後に『工房の魔王』と呼ばれることになるメイドが誕生した瞬間である。




         


 
創作小説 | Comments(2)
Comment
みなとも殿、こんばんはー。

読みました。
ローナ萌えキュンっすね。
いやー、泣かせる話じゃないっすか。
キュンが胸しちゃうじゃないっすか。
◎ まったくさん

読了あざッス。
ローナがひねくれ者になった経緯が書きたくて練ったプロットを一応ながら出せたのはよかったと。
でも無理矢理つなげた感じなので違和感あったんじゃないかなと思ったり。
ともかく萌えていただけたならよかったです。
魔王かわいいよね(自画自賛

>キュンが胸しちゃう
逆!逆!(笑
というか年齢バレする発言ですよね、コレ…(;^ω^)

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